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最終更新時間: 2015-06-29 12:47

中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (15/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1068友よ、外側の風の要素が怒る時があります。それは、村をも運びます、町をも運びます、城をも運びます、地方をも運びます、国土をも運びます。友よ、夏の最後の月に、(人々が)多羅の葉の扇によっても、火をおこす扇によっても、風を求める時があり、葺屋根の上の藁も揺れない時があります。友よ、実に、その外の風の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (14/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

305.

1067友よ、何が風の要素でしょうか?風の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の風の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、風、風の状態のもの、執着されたところものです、それはこのようにです —上に行く風、下に行く風、腹の中の風、腸の中の風、身体の隅々に随う風、出る息、入る息といった、また他にも内側にあり、各々にあり、風、風の状態のもの、執着されたところものは何でもです —友よ、これが、内の風の要素と言われます。また内側の風の要素であるところのもの、外側の風の要素であるところのもの、それこそが風の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、風の要素から厭離します、風の要素から心を離貪させます。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (13/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1066友よ、外側の火の要素が怒る時があります。それは、村をも焼きます、町をも焼きます、城をも焼きます、地方をも焼きます、国土をも焼きます。それは、青草でのみ、または道路でのみ、または岩でのみ、または水でのみ、または草などが何もない土地でのみ、燃えるものがないことによって消えます。友よ、(人々が)雞の羽毛によっても、腱や筋によっても火を起こそうとする時があります。友よ、実に、その外の火の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。…中略 …もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。実に、友よ、ここまでで、比丘によって多くのことがなされています。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (12/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

304.

1065友よ、何が火の要素でしょうか?火の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の火の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、水、水の状態のもの、執着されたところものです、それはこのようにです — yena caそれによって熱せられるもの、またそれによって熟成されるもの、それによって焼かれるもの、それによって食べ物・飲み物・食べられる・味あわれるものが完全に消化されるものであり、火、火の状態のもの、執着されたところものです—友よ、これが、内の火の要素と言われます。また内側の火の要素であるところのもの、外側の火の要素であるところのもの、それこそが火の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、火の要素から厭離します、火の要素から心を離貪させます。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (11/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

1064友よ、外側の水の要素が怒る時があります。それは、村をも運びます、町をも運びます、城をも運びます、地方をも運びます、国土をも運びます。友よ、大海において水が、100ヨージョナ沈む時があります、200ヨージョナ沈む時があります、300ヨージョナ沈む時があります、400ヨージョナ沈む時があります、500ヨージョナ沈む時があります、600ヨージョナ沈む時があります、700ヨージョナ沈む時があります。友よ、大海において、水が、多羅の樹7つ分の高さになる時があります、多羅の樹6つ分の高さになる時があります、多羅の樹5つ分の高さになる時があります、多羅の樹4つ分の高さになる時があります、多羅の樹 3つ分の高さになる時があります、多羅の樹2つ分の高さになる時があります、多羅の樹1つ分のみの高さになる時があります。友よ、大海において、水が、人の身長7つ分の高さになる時があります、人の身長6つ分の高さになる時があります、人の身長5つ分の高さになる時があります、人の身長4つ分の高さになる時があります、人の身長3つ分の高さになる時があります、人の身長2つ分の高さになる時があります、人の身長1つ分のみの高さになる時があります。友よ、大海において、水が、人の身長の半分の高さになる時があります、腰の高さになる時があります、膝の高さになる時があります、踝の高さだけになる時があります。友よ、大海において、水が、指の関節を濡らすだけもない時があります。友よ、実に、その外の水の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。…中略 …もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。実に、友よ、ここまでで、比丘によって多くのことがなされています。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (10/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

1063友よ、何が水の要素でしょうか?水の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の水の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、水、水の状態のもの、執着されたところものです、それはこのようにです —胆汁、痰(たん)、膿(うみ)、血、汗、脂肪、涙、あぶら、唾、鼻汁、関節滑液、小便,各々にあり、水、水の状態のもの、執着されたところものです —友よ、これが、内の水の要素と言われます。また内側の水の要素であるところのもの、外側の水の要素であるところのもの、それこそが水の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、水の要素から厭離します、水の要素から心を離貪させます。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (9/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1062友よ、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと、それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します) —「 実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。友よ、あたかも嫁が舅(しゅうと)を見て、はっとして畏れを抱くようなものです;友よ、このように実に、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと、それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します)— 「実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。実に、友よ、ここまでで、その比丘によって多くのことがなされています。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (8/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1061彼は、このように知ります—「実に、この身体は、身体においてこのように、拳の感触もまた生じるものです、土の塊の感触もまた生じるものです、棒切れの感触もまた生じるものです、ナイフの感触もまた生じるものです。またこのように、実に世尊によって鋸の喩えの教えにおいて説かれました —『比丘達よ、たとえ両手で引く鋸によって賤しい盗賊達が身体という身体を切り離したとしても、心を怒らせる者はそれ故に我が教えを実践していません』と。そして、私の精進へ励みは不退になり、気づきをそなえ気づきを失わず、軽安な身体で静まり、定に入り心が一境になるでしょう。さあ、この身体において、勝手に、拳の感触も生じるがよい、土の塊の感触も生じるがよい、棒切れの感触も生じるがよい、ナイフの感触も生じるがよい。なぜなら、ブッダ達の教えを実践しているのですから」と。

パーリ語

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (7/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1060友よ、もし、その比丘に他が罵り、悪口を言い、怒らせ、困らせるなら、彼はこのように知ります—「実に、私に生起したこの耳に触れて生じたものはドゥッカの受です。実に、それは(原因に)縁るもので、(原因が)に縁らないものではありません。何に縁るのでしょうか?触に縁るものです」彼は触は無常であると知ります、受は無常であると知ります、想は無常であると知ります、行は無常であると知ります、識は無常であると知ります。彼の心は、要素の対象のみに入り込み、浄まり、確立し、志向します。

パーリ語

(5/21)

1060 Tañce, āvuso, bhikkhuṃ pare akkosanti paribhāsanti rosenti vihesenti, so evaṃ pajānāti—‘uppannā kho me ayaṃ sotasamphassajā dukkhavedanā. Sā ca kho paṭicca, no apaṭicca. Kiṃ paṭicca? Phassaṃ paṭicca’. So phasso aniccoti passati, vedanā aniccāti passati, saññā aniccāti passati, saṅkhārā aniccāti passati, viññāṇaṃ aniccanti passati. Tassa dhātārammaṇameva cittaṃ pakkhandati pasīdati santiṭṭhati adhimuccati.

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (6/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1059友よ、外側の水の要素が怒る時があります。その時、外の地の要素は消滅することがあります。友よ、実に、その外の地の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。

パーリ語

(5/21)

1059 Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ bāhirā āpodhātu pakuppati. Antarahitā tasmiṃ samaye bāhirā pathavīdhātu hoti. Tassā hi nāma, āvuso, bāhirāya pathavīdhātuyā tāva mahallikāya aniccatā paññāyissati, khayadhammatā paññāyissati, vayadhammatā paññāyissati, vipariṇāmadhammatā paññāyissati. Kiṃ panimassa mattaṭṭhakassa kāyassa taṇhupādinnassa ‘ahanti vā mamanti vā asmī’ti vā? Atha khvāssa notevettha hoti.

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (5/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

302.

1058友よ、何が地の要素でしょうか?地の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の地の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものです,それはこのようにです —毛髪、体毛、爪、歯、皮膚、肉、腱、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺臓、腸、腸間膜、胃の中の食べ物、大便,また他にも内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものは何でもです。友よ、これが、内の地の要素と言われます。また内側の地の要素であるところのもの、外側の地の要素であるところのもの、それこそが地の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、地の要素から厭離します、地の要素から心を離貪させます。

パーリ語

(5/21)

302.

1058 Katamā cāvuso, pathavīdhātu? Pathavīdhātu siyā ajjhattikā, siyā bāhirā. Katamā cāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu? Yaṃ ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ, seyyathidaṃ— kesā lomā nakhā dantā taco maṃsaṃ nhāru aṭṭhi aṭṭhimiñjaṃ vakkaṃ hadayaṃ yakanaṃ kilomakaṃ pihakaṃ papphāsaṃ antaṃ antaguṇaṃ udariyaṃ karīsaṃ, yaṃ vā panaññampi kiñci ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ. Ayaṃ vuccatāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu. Yā ceva kho pana ajjhattikā pathavīdhātu, yā ca bāhirā pathavīdhātu, pathavīdhāturevesā. ‘Taṃ netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti— evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya daṭṭhabbaṃ. Evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya disvā pathavīdhātuyā nibbindati, pathavīdhātuyā cittaṃ virājeti.

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (4/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

1056友よ、何が色取蘊でしょうか?四つの大きな要素と、四つの要素からなる色です。

1057友よ、何が四つの大きな要素でしょうか?地の要素、水の要素、火の要素、風の要素です。

パーリ語

(4/21)

1056 Katamo cāvuso, rūpupādānakkhandho? Cattāri ca mahābhūtāni, catunnañca mahābhūtānaṃ upādāya rūpaṃ.

1057Katamā cāvuso, cattāro mahābhūtā? Pathavīdhātu, āpodhātu, tejodhātu, vāyodhātu.

Katamo cāvuso, rūpupādānakkhandho? Cattāri ca mahābhūtāni, catunnañca mahābhūtānaṃ upādāya rūpaṃ
katamo:katama 「どれ・いずれ」(nom.)→「何が」
rūpupādānakkhandho?:rūpa + upādāna +(k)khandha (nom.) →「色取蘊であるか?」
cattāri:catu (n. nom.) →「四つ(の〜)が」
ca:「〜と、そして、また」
mahābhūtāni:mahā「大」+ bhūta 「要素・種」(n. nom.) →
catunnañca:catunnaṃ(catu, n. gen.)+ ca →
mahābhūtānaṃ:mahā+ bhūta (n. gen.)→
upādāya:(adv.)「〜から(できている)」→「執着して」
rūpaṃ:rūpa 「色・肉体」(n. nom.) →

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (3/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

301.

1055友よ、何がドゥッカの聖なる真理でしょうか?生もまたドゥッカです、老もまたドゥッカです、死もまたドゥッカです、悲しみ、嘆き、苦しみ、悩み、失望もまたドゥッカです、欲しいものが得られないこともまたドゥッカです。要するに、五つの執着する蘊がドゥッカです。友よ、何が五つの執着の蘊でしょうか?それはこのようにです—色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊です。

パーリ語

(3/21)

301.

1055 Katamañcāvuso, dukkhaṃ ariyasaccaṃ? Jātipi dukkhā, jarāpi dukkhā, maraṇampi dukkhaṃ, sokaparidevadukkhadomanassupāyāsāpi dukkhā, yampicchaṃ na labhati tampi dukkhaṃ; saṃkhittena, pañcupādānakkhandhā dukkhā. Katame cāvuso, pañcupādānakkhandhā? Seyyathidaṃ—rūpupādānakkhandho, vedanupādānakkhandho, saññupādānakkhandho, saṅkhārupādānakkhandho, viññāṇupādānakkhandho.

Katamañcāvuso, dukkhaṃ ariyasaccaṃ? Jātipi dukkhā, jarāpi dukkhā, maraṇampi dukkhaṃ, sokaparidevadukkhadomanassupāyāsāpi dukkhā, yampicchaṃ na labhati tampi dukkhaṃ; saṃkhittena, pañcupādānakkhandhā dukkhā
katamañcāvuso:katamaṃ(katama 「どれ・どの」 n. nom.)+ca + āvuso 「友よ」 →
dukkhaṃ: dukkha 「苦」(n. nom.)→
ariyasaccaṃ?:ariyasacca (n. nom.) →「聖なる真理であるか?」
jātipi:jāti 「生」(f. nom.)+ pi 「〜も」 →「生もまた」
dukkhā:dukkha 「苦」(n. nom.) →「苦である」
jarāpi:jarā「老」(f. nom.)+ pi →「老もまた」
maraṇampi:maraṇaṃ(maraṇa 「死」 n. nom.)+ pi →「死もまた」
sokaparidevadukkhadomanassupāyāsāpi:soka 「悲しみ」+ parideva 「嘆き」+ dukkha 「苦しみ」+ domanassa 「悩み」+ upāyāsa 「失望」+ api →「悲しみ、嘆き、苦しみ、悩み、失望もまた」
yampicchaṃ:yaṃ(ya, n. nom.)「〜のところものが」+ (p)+ iccha (a.)「望んでいる・欲しい」 →
na:(否定)
labhati: labh + a gets; obtains; attains.→「得る」
tampi:taṃ「それ」(taṃ nom.)+ pi →
saṃkhittena:saṅkhittena (saṅkhitta「簡略の」(a.)) →「要するに・要略すれば」
pañcupādānakkhandhā: pañca 「五」+upādāna 「取・執着」+(k)khandha 「蘊」(m. pl. nom.) →「五つの執着する蘊が(五取蘊が)」

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (2/21)

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日本語訳

1054「友よ、いかなるジャングルの生命達の足跡を集めたものそれら全てが、象の足跡に入ってしまいます、象の足跡はその偉大さによって第一であると話されます。友よ、あたかもそのように、いかなる善きダンマはすべて四つの聖なる真理にまとめられます。いずれの四つにおいてでしょうか。ドゥッカの聖なる真理(苦聖諦)、ドゥッカの原因の聖なる真理(苦集聖諦)、ドゥッカの滅尽の聖なる真理(苦滅聖諦)、ドゥッカの滅尽に導く道の聖なる真理(苦滅道聖諦)においてです。

パーリ語

(2/21)

1054 “Seyyathāpi, āvuso, yāni kānici jaṅgalānaṃ pāṇānaṃ padajātāni sabbāni tāni hatthipade samodhānaṃ gacchanti, hatthipadaṃ tesaṃ aggamakkhāyati yadidaṃ mahantattena; evameva kho, āvuso, ye keci kusalā dhammā sabbete catūsu ariyasaccesu saṅgahaṃ gacchanti. Katamesu catūsu? Dukkhe ariyasacce, dukkhasamudaye ariyasacce, dukkhanirodhe ariyasacce, dukkhanirodhagāminiyā paṭipadāya ariyasacce.

“Seyyathāpi, āvuso, yāni kānici jaṅgalānaṃ pāṇānaṃpadajātāni sabbāni tāni hatthipade samodhānaṃ gacchanti, hatthipadaṃ tesaṃaggamakkhāyati yadidaṃ mahantattena; evameva kho, āvuso, ye keci kusalā dhammā sabbetecatūsu ariyasaccesu saṅgahaṃ gacchanti
seyyathāpi:seyyathā「そのように」+ pi →
āvuso: ind.(Vocative), friend; brother.(A form ofpolite address among monks).→「友よ」
yāni:ya 「〜のところのもの」(n. pl. nom. acc.) →
kānici:ka-ci「何か」(疑問代名詞)(n. pl. nom. acc.) →
jaṅgalānaṃ:jaṅgala 「荒地・沙漠・ジャングル」(pl. dat. gen.) →「ジャングルの」
pāṇānaṃ:pāṇa 「生命・生物・有情」(pl. dat. gen.) →「生命(達)の」
padajātāni:pada 「足・足跡」+ jāta 「集まり」(pl. gen.)→「足跡を集めたものの」
sabbāni:sabba 「全ての・一切の」(pl. nom. acc.) →「すべてが」
tāni:taṃ「それ」(pl. nom.) →「それらが」
hatthipade:hatthi 「象の」 pada 「足跡」(loc.) →「象の足跡において」
samodhānaṃ:samodhāna 「集まり・集合」 →
gacchanti:gacchati 「行く」(pl. 3rd.) →
hatthipadaṃ:hatthipada 「象の足跡」(n. nom. acc.) →「象の足跡は」
tesaṃ:taṃ「それ」(n. pl.gen.) →「それの」
aggamakkhāyati:aggaṃ(agga: a.)「第一・最高」+ akkhāyati (akkhāti「話す・告げる」のpass.)「話される」 →
yadidaṃ:(yaṃ+ idaṃ), ind. which is this; that is; namely.→
mahantattena;:mahantatta 「偉大であること」(n. instr.) →「偉大であることによって」
evameva:evaṃ+ eva →
ye:ya 「〜のところのもの」(pl. nom. acc.) →
keci:ke (ka 「何」: pl. nom. acc.)+ ci (=「いかなる〜も」ever) →
kusalā:kusala 「善い」(pl. nom.) →
dhammā:dhamma「ダンマ」(pl. nom.) →
sabbete:sabbete →
catūsu:catu 「四」(m. n. loc.) →
ariyasaccesu:ariya 「聖(なる)」+ sacca 「真理・諦」(pl. loc.) →
saṅgahaṃ:saṅgaha 「扱い・集まり」(acc.) →

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (1/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

300

1053このように私は聞きました —ある時、世尊はサーワッティにあるジェータ太子の森・アナータピンディカの僧園に住んでおられました。その時、サーリプッタ尊者は、比丘達に呼び掛けられました —「友よ、比丘達よ」と。「尊者よ」と、その比丘達はサーリプッタ尊者に答えました。サーリプッタ尊者はこのように言われました —

パーリ語

(1/21)

300.

1053 Evaṃ me sutaṃ— ekaṃ samayaṃ bhagavā sāvatthiyaṃ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme. Tatra kho āyasmā sāriputto bhikkhū āmantesi— “āvuso bhikkhave”ti. “Āvuso”ti kho te bhikkhū āyasmato sāriputtassa paccassosuṃ. Āyasmā sāriputto etadavoca—

Evaṃ me sutaṃ—ekaṃ samayaṃ bhagavā sāvatthiyaṃ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme
evaṃ: adv. thus; in this way;(in reply:) yes.→「このように」
me: ahaṃ(instr.)→「私によって」
sutaṃ: suta(suṇāti「聴く・聞く」のpp.)「聞かれた」→「聞かれた」
ekaṃ samayaṃ:ekaṃ(acc.) samayaṃ(acc.副詞的・不変語的用法) →「ある時」
bhagavā:bhagavant 「世尊」(nom.) →「世尊は(が)」
sāvatthiyaṃ:sāvatthī「サーワッティ」(f. loc.) →「サーワッティの」
viharati: vi + har + a lives; abides; dwells; sojourns.(歴史的現在)→「住んでおられた」
jetavane:jetavana 「ジェータ太子の森・祇園(精舎)」(loc.) →「ジェータ太子の森(の〜)に」
anāthapiṇḍikassa:anāthapiṇḍika 「アナータピンディカ(居士)」(gen.) →「アナータピンディカ(居士)の」
ārāme:ārāma 「園・園林」(loc.) →「園に」

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