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最終更新時間: 2015-06-29 12:47

中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (15/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1068友よ、外側の風の要素が怒る時があります。それは、村をも運びます、町をも運びます、城をも運びます、地方をも運びます、国土をも運びます。友よ、夏の最後の月に、(人々が)多羅の葉の扇によっても、火をおこす扇によっても、風を求める時があり、葺屋根の上の藁も揺れない時があります。友よ、実に、その外の風の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (14/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

305.

1067友よ、何が風の要素でしょうか?風の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の風の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、風、風の状態のもの、執着されたところものです、それはこのようにです —上に行く風、下に行く風、腹の中の風、腸の中の風、身体の隅々に随う風、出る息、入る息といった、また他にも内側にあり、各々にあり、風、風の状態のもの、執着されたところものは何でもです —友よ、これが、内の風の要素と言われます。また内側の風の要素であるところのもの、外側の風の要素であるところのもの、それこそが風の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、風の要素から厭離します、風の要素から心を離貪させます。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (13/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1066友よ、外側の火の要素が怒る時があります。それは、村をも焼きます、町をも焼きます、城をも焼きます、地方をも焼きます、国土をも焼きます。それは、青草でのみ、または道路でのみ、または岩でのみ、または水でのみ、または草などが何もない土地でのみ、燃えるものがないことによって消えます。友よ、(人々が)雞の羽毛によっても、腱や筋によっても火を起こそうとする時があります。友よ、実に、その外の火の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。…中略 …もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。実に、友よ、ここまでで、比丘によって多くのことがなされています。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (12/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

304.

1065友よ、何が火の要素でしょうか?火の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の火の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、水、水の状態のもの、執着されたところものです、それはこのようにです — yena caそれによって熱せられるもの、またそれによって熟成されるもの、それによって焼かれるもの、それによって食べ物・飲み物・食べられる・味あわれるものが完全に消化されるものであり、火、火の状態のもの、執着されたところものです—友よ、これが、内の火の要素と言われます。また内側の火の要素であるところのもの、外側の火の要素であるところのもの、それこそが火の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、火の要素から厭離します、火の要素から心を離貪させます。

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Majjhimanikāya (中部経典) 目録 (3/3)

[マッジマ・ニカーヤ][経典]

中部経典のパーリ語タイトルと南伝大蔵経での和文タイトルとの対応、 World Tipiṭaka CSCD へのリンク表です。

[ Mūlapaṇṇāsapāḷi 根本五十経篇][ Majjhimapaṇṇāsapāḷi 中分五十経篇]

Uparipaṇṇāsapāḷi後分五十経篇(World Tipiṭaka , CSCD )

Devadahavagga 天臂品(World Tipiṭaka ,CSCD )

1(101) Devadahasutta天臂経(World Tipiṭaka)(CSCD)
2(102) Pañcattayasutta五三経(World Tipiṭaka)(CSCD)
3(103) Kintisutta如何経(World Tipiṭaka)(CSCD)
4(104) Sāmagāmasutta舎弥村経(World Tipiṭaka)(CSCD)
5(105) Sunakkhattasutta善星経(World Tipiṭaka)(CSCD)
6(106) Āneñjasappāyasutta不動利益経(World Tipiṭaka)(CSCD)
7(107) Gaṇakamoggallānasutta算数家目犍連経(World Tipiṭaka)(CSCD)
8(108) Gopakamoggallānasutta瞿黙目犍連経(World Tipiṭaka)(CSCD)
9(109) Mahāpuṇṇamasutta満月大経(World Tipiṭaka)(CSCD)
10(110) Cūḷapuṇṇamasutta満月小経(World Tipiṭaka)(CSCD)

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (11/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1064友よ、外側の水の要素が怒る時があります。それは、村をも運びます、町をも運びます、城をも運びます、地方をも運びます、国土をも運びます。友よ、大海において水が、100ヨージョナ沈む時があります、200ヨージョナ沈む時があります、300ヨージョナ沈む時があります、400ヨージョナ沈む時があります、500ヨージョナ沈む時があります、600ヨージョナ沈む時があります、700ヨージョナ沈む時があります。友よ、大海において、水が、多羅の樹7つ分の高さになる時があります、多羅の樹6つ分の高さになる時があります、多羅の樹5つ分の高さになる時があります、多羅の樹4つ分の高さになる時があります、多羅の樹 3つ分の高さになる時があります、多羅の樹2つ分の高さになる時があります、多羅の樹1つ分のみの高さになる時があります。友よ、大海において、水が、人の身長7つ分の高さになる時があります、人の身長6つ分の高さになる時があります、人の身長5つ分の高さになる時があります、人の身長4つ分の高さになる時があります、人の身長3つ分の高さになる時があります、人の身長2つ分の高さになる時があります、人の身長1つ分のみの高さになる時があります。友よ、大海において、水が、人の身長の半分の高さになる時があります、腰の高さになる時があります、膝の高さになる時があります、踝の高さだけになる時があります。友よ、大海において、水が、指の関節を濡らすだけもない時があります。友よ、実に、その外の水の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。…中略 …もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。実に、友よ、ここまでで、比丘によって多くのことがなされています。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (10/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1063友よ、何が水の要素でしょうか?水の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の水の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、水、水の状態のもの、執着されたところものです、それはこのようにです —胆汁、痰(たん)、膿(うみ)、血、汗、脂肪、涙、あぶら、唾、鼻汁、関節滑液、小便,各々にあり、水、水の状態のもの、執着されたところものです —友よ、これが、内の水の要素と言われます。また内側の水の要素であるところのもの、外側の水の要素であるところのもの、それこそが水の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、水の要素から厭離します、水の要素から心を離貪させます。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (9/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1062友よ、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと、それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します) —「 実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。友よ、あたかも嫁が舅(しゅうと)を見て、はっとして畏れを抱くようなものです;友よ、このように実に、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと、それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します)— 「実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。実に、友よ、ここまでで、その比丘によって多くのことがなされています。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (8/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1061彼は、このように知ります—「実に、この身体は、身体においてこのように、拳の感触もまた生じるものです、土の塊の感触もまた生じるものです、棒切れの感触もまた生じるものです、ナイフの感触もまた生じるものです。またこのように、実に世尊によって鋸の喩えの教えにおいて説かれました —『比丘達よ、たとえ両手で引く鋸によって賤しい盗賊達が身体という身体を切り離したとしても、心を怒らせる者はそれ故に我が教えを実践していません』と。そして、私の精進へ励みは不退になり、気づきをそなえ気づきを失わず、軽安な身体で静まり、定に入り心が一境になるでしょう。さあ、この身体において、勝手に、拳の感触も生じるがよい、土の塊の感触も生じるがよい、棒切れの感触も生じるがよい、ナイフの感触も生じるがよい。なぜなら、ブッダ達の教えを実践しているのですから」と。

パーリ語

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (7/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1060友よ、もし、その比丘に他が罵り、悪口を言い、怒らせ、困らせるなら、彼はこのように知ります—「実に、私に生起したこの耳に触れて生じたものはドゥッカの受です。実に、それは(原因に)縁るもので、(原因が)に縁らないものではありません。何に縁るのでしょうか?触に縁るものです」彼は触は無常であると知ります、受は無常であると知ります、想は無常であると知ります、行は無常であると知ります、識は無常であると知ります。彼の心は、要素の対象のみに入り込み、浄まり、確立し、志向します。

パーリ語

(5/21)

1060 Tañce, āvuso, bhikkhuṃ pare akkosanti paribhāsanti rosenti vihesenti, so evaṃ pajānāti—‘uppannā kho me ayaṃ sotasamphassajā dukkhavedanā. Sā ca kho paṭicca, no apaṭicca. Kiṃ paṭicca? Phassaṃ paṭicca’. So phasso aniccoti passati, vedanā aniccāti passati, saññā aniccāti passati, saṅkhārā aniccāti passati, viññāṇaṃ aniccanti passati. Tassa dhātārammaṇameva cittaṃ pakkhandati pasīdati santiṭṭhati adhimuccati.

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (6/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

目次


日本語訳

1059友よ、外側の水の要素が怒る時があります。その時、外の地の要素は消滅することがあります。友よ、実に、その外の地の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。

パーリ語

(5/21)

1059 Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ bāhirā āpodhātu pakuppati. Antarahitā tasmiṃ samaye bāhirā pathavīdhātu hoti. Tassā hi nāma, āvuso, bāhirāya pathavīdhātuyā tāva mahallikāya aniccatā paññāyissati, khayadhammatā paññāyissati, vayadhammatā paññāyissati, vipariṇāmadhammatā paññāyissati. Kiṃ panimassa mattaṭṭhakassa kāyassa taṇhupādinnassa ‘ahanti vā mamanti vā asmī’ti vā? Atha khvāssa notevettha hoti.

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中部経典 32 Mahāgosiṅgasutta 牛角林大経 (日本語訳)

[マッジマ・ニカーヤ][牛角林大経]

目次


日本語訳

332

1140このように私は聞きました—ある時、世尊は牛角沙羅林園に多くの有名な有名な長老の弟子達と一緒に住んでおられました。サーリプッタ尊者と、マハー・モッガラーナ尊者と、マハー・カッサパ尊者と、アヌルッダ尊者と、レーワタ尊者と、アーナンダ尊者と、他の有名な有名な長老の弟子達と一緒に。実に、マハー・モッガラーナ尊者は、夕刻時に独座から立ち上がられて、マハー・カッサパ尊者のところにお近付きになられました。近付いてマハー・カッサパ尊者にこう仰いました—「さあ行きましょう、友、カッサパよ、サーリプッタ尊者のところに行きましょう、ダンマを聞きに」と。すると「そうしましょう、友よ」とマハー・カッサパ尊者は、マハー・モッガラーナ尊者に同意されました。そして、マハー・モッガラーナ尊者と、マハー・カッサパ尊者と、アヌルッダ尊者とは、サーリプッタ尊者のところにダンマを聞きに向かわれました。そこで、アーナンダ尊者は、マハー・モッガラーナ尊者と、マハー・カッサパ尊者と、アヌルッダ尊者とがサーリプッタ尊者のところに近付きつつあるのを御覧になりました。御覧になって、レーワタ尊者のところにお近付きになりました。近付かれて、レーワタ尊者のこのように仰いました—「友、レーワタよ、この善士達がサーリプッタ尊者のところにダンマを聞き近付きつつあります。さあ、行きましょう、友レーワタよ、サーリプッタ尊者のところにダンマを聞きに行きましょう」と。「そうしましょう、友よ」と、実にレーワタ尊者はアーナンダ尊者に同意なさいました。そこで、レーワタ尊者とアーナンダ尊者は、ダンマを聞きに、サーリプッタ尊者のところに向かわれました。

333.

1141そこで、サーリプッタ尊者は、レーワタ尊者とアーナンダ尊者が遠くから来つつあるのを御覧になりました。御覧になって、アーナンダ尊者にこのように仰いました —「さあ、アーナンダ尊者、いらっしゃい。ようこそ、世尊の奉仕者のお方、世尊の側近のお方。友アーナンダよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友アーナンダよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、比丘が多聞でいます、持聞者であり、聞集者でいます。それらのダンマは初めが善く、中も善く、終りも善く、役に立ち、正しく語られています。それらは完全に清浄な梵行を語ります。そのようにあるであろうダンマの多聞です。熟知し、よく覚え、心で観察し、見によってよく理解しています。彼は四衆にダンマを教示します。完全な言葉に随い従って煩悩の根絶のために。友、サーリプッタよ、実に、このような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょう」と。

334.

1142 このように言われた時に、サーリプッタ尊者はレーワタ尊者にこうに言われました—「友レーワタよ、語られたのは、アーナンダ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がレーワタ尊者に尋ねます—「友レーワタよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友レーワタよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、比丘が独座を楽しんでいます。独座を喜び、自らを心の寂止を整えようとしています、禅定を軽視しておらず、智慧を具え、頻繁に閑居をなしています。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

335.

1143このように言われた時に、サーリプッタ尊者はアヌルッダ尊者にこうに言われました—「友アヌルッダよ、語られたのは、レーワタ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がアヌルッダ尊者に尋ねます—「友アヌルッダよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友アヌルッダよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、比丘が、清らかで、常人を超えた天眼によって、千の世界を観察しています。友、サーリプッタよ、あたかも、眼がある者である人がすぐれた高楼に登り、千の車の外輪を観察するようなものです。友、サーリプッタよ、このように、比丘が、清らかで、常人を超えた、天眼によって、千の世界を観察しています。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

336.

1144このように言われた時に、サーリプッタ尊者はマハー・カッサパ尊者にこうに言われました—「友カッサパよ、語られたのは、アヌルッダ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がマハー・カッサパ尊者に尋ねます—「友カッサパよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友カッサパよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、比丘が、自らが林住者であり、林住を賞賛する者です、また、自らが常に托鉢で食を得ている者であり、常に托鉢で食を得ることを賞賛する者です、また、自らが糞掃衣を纏う者であり、糞掃衣を纏う者であることを賞賛する者です、自らが但三衣を纏う者であり、但三衣を纏うことを賞賛する者です、また、自らが小欲であり、小欲であることを賞賛する者です、また、自らがら知足であり、知足であることを賞賛する者です、また、自らが遠離している者であり、遠離を賞賛する者です、また自らが(人と)交際・接触をしない者であり、(人と)交際・接触をしないことを賞賛する者です、また、自らが勤精進であり、勤精進を賞賛する者です、また、自らがら具戒者であり、戒具足を賞賛する者です、また、自らが定具足者であり、定成就を賞賛する者です、また、自らが慧具足者であり、慧成就を賞賛する者です、また、自らが解脱具足者であり、解脱成就を賞賛する者です、また、自らが解脱智見具足者であり、解脱智見成就を賞賛するものです。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

337.

1145このように言われた時に、サーリプッタ尊者はマハー・モッガラーナ尊者にこうに言われました—「友モッガラーナよ、語られたのは、マハー・カッサパ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がマハー・モッガラーナ尊者に尋ねます—「友モッガラーナよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友モッガラーナよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、二人の比丘が、勝れたダンマを語らっています、互いに問いを投げ掛け、彼ら互いに問われた側が問いに答えます、中断することなく、ダンマもそれらの語らいも進んでいます。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

338.

1146実に、モッガラーナ尊者はサーリプッタ尊者にこのように言われました —「友サーリプッタよ、語られたのは、私によって、(各々)全ての弁才に応じてです。それでは今度は私達がサーリプッタ尊者に尋ねます —「友サーリプッタよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友サーリプッタよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友モッガラーナよ、比丘が心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します。例えば、友モッガラーナよ、王あるいは王の大臣の様々な色の衣類で衣裳箱が一杯であるとしましょう。彼は、そのうちの一組の衣類を朝方に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を朝方に着ることでしょう;彼は、そのうちの一組の衣類を昼に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を昼に着ることでしょう;彼は、そのうちの一組の衣類を夕方に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を夕方に着ることでしょう;このように実に、友モッガラーナよ、比丘が心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します。友モッガラーナよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

339.

1147そこで、サーリプッタ尊者は、その尊者達に、このように言われました —「友よ、語られたのは、私達によって、(各々)全ての弁才に応じてです。さあ行きましょう、友よ、世尊のところに行きましょう;行ってこのことを世尊のお話しましょう。世尊が解説なさるその通りに、確かに憶えておきましょう」と。「そうしましょう、尊者よ」とその尊者達はサーリプッタ尊者に同意されました。そこで、これらの尊者達は、世尊のところに行かれました;行って世尊に挨拶をされ、片側にお座りになりました。片側にお座りになったサーリプッタ尊者は世尊にこう仰いました —「尊師よ、ここに、レーワタ尊者とアーナンダ尊者が私のところにダンマを聞きにお越しになりました。そこで、尊師よ、私は、レーワタ尊者とアーナンダ尊者が遠くから近付きつつあるのを見ました。見て、アーナンダ尊者にこのように言いました —『さあ、アーナンダ尊者、いらっしゃい。ようこそ、世尊の奉仕者のお方、世尊の側近のお方。友アーナンダよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友アーナンダよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。このように言われた時、尊師よ、アーナンダ尊者は私にこのように仰いました—『ここに、友サーリプッタよ、比丘が多聞でいます、持聞者であり、聞集者でいます。…(中略)…完全な言葉に随い従って煩悩の根絶のために。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』」と。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。アーナンダこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。サーリプッタよ、アーナンダは実に多聞であり、持聞者であり、聞集者です。それらのダンマは初めが善く、中も善く、終りも善く、役に立ち、正しく語られています。それらは完全に清浄な梵行を語ります。そのようにあるであろうダンマの多聞です。熟知し、よく覚え、心で観察し、見によってよく理解しています。彼は四衆にダンマを教示します。完全な言葉に随い従って煩悩の根絶のために」と。

340.

1148「尊師よ、このように言われた時に、私はレーワタ尊者にこうに言いました —『友レーワタよ、語られたのは、アーナンダ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がレーワタ尊者に尋ねます—友 レーワタよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友レーワタよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。尊師よ、このように言われた時に、レーワタ尊者はこのように仰いました —『ここに、友サーリプッタよ、比丘が独座を楽しんでいます。独座を喜び、自らを心の寂止を整えようとしています、禅定を軽視しておらず、智慧を具え、頻繁に閑居をなしています。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』」と。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。レーワタこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。レーワタは実に、独座を楽しみ、独座を喜び、自らを心の寂止を整えようとしています、禅定を軽視しておらず、智慧を具え、頻繁に閑居をなしています」と。

341.

1149「尊師よ、このように言われた時に、私はアヌルッダ尊者にこうに言いました —『友アヌルッダよ、語られたのは、レーワタ尊者によって自分の弁才に応じてです。…(中略)…友アヌルッダよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。尊師よ、このように言われた時に、アヌルッダ尊者はこのように仰いました—『ここに、友サーリプッタよ、比丘が、清らかで、常人を超えた天眼によって、千の世界を観察しています。友、サーリプッタよ、あたかも、眼がある者である人が…(中略)…。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』と」。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。アヌルッダこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。サーリプッタよ、アヌルッダは実に清らかで、常人を超えた天眼によって、千の世界を観察します。」

342.

1150「尊師よ、このように言われた時に、私はマハー・カッサパ尊者にこうに言いました— 『友カッサパよ、語られたのは、アヌルッダ尊者によって自分の弁才に応じてですそれでは今度は私達がマハー・カッサパ尊者に尋ねます…(中略)…友カッサパよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。尊師よ、このように言われた時に、カッサパ尊者はこのように仰いました—『「ここに、友サーリプッタよ、比丘が、自らが林住者であり、林住を賞賛する者です、また、自らが常に托鉢で食を得ている者であり、…(中略)…、また、自らが糞掃衣を纏う者であり、…(中略)…、自らが但三衣を纏う者であり、…(中略)…、また、自らが小欲であり、…(中略)…、また、自らがら知足であり、…(中略)…、また、自らが遠離している者であり、…(中略)…、また自らが(人と)交際・接触をしない者であり、…(中略)…、また、自らが勤精進であり、…(中略)…、また、自らがら具戒者であり、…(中略)…、また、自らが定具足者であり、…(中略)…、また、自らが慧具足者であり、…(中略)…、また、自らが解脱具足者であり、…(中略)…、また、自らが解脱智見具足者であり、解脱智見成就を賞賛するものです。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』と」。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。カッサパこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。サーリプッタよ、カッサパは実に、自らが林住者であり、林住を賞賛する者です、また、自らが常に托鉢で食を得ている者であり、常に托鉢で食を得ることを賞賛する者です、また、自らが糞掃衣を纏う者であり、糞掃衣を纏う者であることを賞賛する者です、自らが但三衣を纏う者であり、但三衣を纏うことを賞賛する者です、また、自らが小欲であり、小欲であることを賞賛する者です、また、自らがら知足であり、知足であることを賞賛する者です、また、自らが遠離している者であり、遠離を賞賛する者です、また自らが(人と)交際・接触をしない者であり、(人と)交際・接触をしないことを賞賛する者です、また、自らが勤精進であり、勤精進を賞賛する者です、また、自らがら具戒者であり、戒具足を賞賛する者です、また、自らが定具足者であり、定成就を賞賛する者です、また、自らが慧具足者であり、慧成就を賞賛する者です、また、自らが解脱具足者であり、解脱成就を賞賛する者です、また、自らが解脱智見具足者であり、解脱智見成就を賞賛するものです」と。

343.

1151「尊師よ、このように言われた時に、私はマハー・モッガラーナ尊者にこうに言いました —『友モッガラーナよ、語られたのは、マハー・カッサパ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がマハー・モッガラーナ尊者に尋ねます。…(中略)…友モッガラーナよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。尊師よ、このように言われた時に、マハー・モッガラーナ尊者はこのように仰いました—『ここに、友サーリプッタよ、二人の比丘が、勝れたダンマを語らっています、互いに問いを投げ掛け、彼ら互いに問われた側が問いに答えます、中断することなく、ダンマもそれらの語らいも進んでいます。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』と」。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。モッガラーナこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。サーリプッタよ、モッガラーナは実に、ダンマを語る者です」と。

344.

1152このように言われた時、マハー・モッガラーナ尊者は世尊にこう言われました—「尊師よ、時に、実に私はサーリプッタ尊者にこう言いました—『友サーリプッタよ、語られたのは、私によって、(各々)全ての弁才に応じてです。それでは今度は私達がサーリプッタ尊者に尋ねます—友サーリプッタよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友サーリプッタよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。尊師よ、このように言われた時に、サーリプッタ尊者はこのように仰いました—『ここに、友モッガラーナよ、比丘が心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します。例えば、友モッガラーナよ、王あるいは王の大臣の様々な色の衣類で衣裳箱が一杯であるとしましょう。彼は、そのうちの一組の衣類を朝方に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を朝方に着ることでしょう;彼は、そのうちの一組の衣類を昼に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を昼に着ることでしょう;彼は、そのうちの一組の衣類を夕方に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を夕方に着ることでしょう;このように実に、友モッガラーナよ、比丘が心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します。友モッガラーナよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』と」。「善き哉、善き哉、モッガラーナよ。サーリプッタこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。モッガラーナよ、サーリプッタは実に、心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します」と。

345.

1153このように言われた時、サーリプッタ尊者は世尊にこう仰いました—「尊師よ、どれが善く説かれていますでしょうか」と。「サーリプッタよ、あなた方の全員によって、(それぞれの)方法によって善く説かれています。それでは、また、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか、私から聞きなさい。サーリプッタよ、ここに比丘が、食後に托鉢から戻り座ります、足を組み、真っ直ぐに身体をしようとし、前に気づきを備えて—『私はこの足を解くまい、私の心が無執着になって漏から解脱しない限りは』と。サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

1154世尊はこのように言われました。満足された尊者たちは世尊の語られたことに歓喜なさいました。

1155牛角林大経、終り。第二。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (5/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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  • パーリ語

日本語訳

302.

1058友よ、何が地の要素でしょうか?地の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の地の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものです,それはこのようにです —毛髪、体毛、爪、歯、皮膚、肉、腱、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺臓、腸、腸間膜、胃の中の食べ物、大便,また他にも内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものは何でもです。友よ、これが、内の地の要素と言われます。また内側の地の要素であるところのもの、外側の地の要素であるところのもの、それこそが地の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、地の要素から厭離します、地の要素から心を離貪させます。

パーリ語

(5/21)

302.

1058 Katamā cāvuso, pathavīdhātu? Pathavīdhātu siyā ajjhattikā, siyā bāhirā. Katamā cāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu? Yaṃ ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ, seyyathidaṃ— kesā lomā nakhā dantā taco maṃsaṃ nhāru aṭṭhi aṭṭhimiñjaṃ vakkaṃ hadayaṃ yakanaṃ kilomakaṃ pihakaṃ papphāsaṃ antaṃ antaguṇaṃ udariyaṃ karīsaṃ, yaṃ vā panaññampi kiñci ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ. Ayaṃ vuccatāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu. Yā ceva kho pana ajjhattikā pathavīdhātu, yā ca bāhirā pathavīdhātu, pathavīdhāturevesā. ‘Taṃ netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti— evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya daṭṭhabbaṃ. Evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya disvā pathavīdhātuyā nibbindati, pathavīdhātuyā cittaṃ virājeti.

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (4/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

1056友よ、何が色取蘊でしょうか?四つの大きな要素と、四つの要素からなる色です。

1057友よ、何が四つの大きな要素でしょうか?地の要素、水の要素、火の要素、風の要素です。

パーリ語

(4/21)

1056 Katamo cāvuso, rūpupādānakkhandho? Cattāri ca mahābhūtāni, catunnañca mahābhūtānaṃ upādāya rūpaṃ.

1057Katamā cāvuso, cattāro mahābhūtā? Pathavīdhātu, āpodhātu, tejodhātu, vāyodhātu.

Katamo cāvuso, rūpupādānakkhandho? Cattāri ca mahābhūtāni, catunnañca mahābhūtānaṃ upādāya rūpaṃ
katamo:katama 「どれ・いずれ」(nom.)→「何が」
rūpupādānakkhandho?:rūpa + upādāna +(k)khandha (nom.) →「色取蘊であるか?」
cattāri:catu (n. nom.) →「四つ(の〜)が」
ca:「〜と、そして、また」
mahābhūtāni:mahā「大」+ bhūta 「要素・種」(n. nom.) →
catunnañca:catunnaṃ(catu, n. gen.)+ ca →
mahābhūtānaṃ:mahā+ bhūta (n. gen.)→
upādāya:(adv.)「〜から(できている)」→「執着して」
rūpaṃ:rūpa 「色・肉体」(n. nom.) →

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (3/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

301.

1055友よ、何がドゥッカの聖なる真理でしょうか?生もまたドゥッカです、老もまたドゥッカです、死もまたドゥッカです、悲しみ、嘆き、苦しみ、悩み、失望もまたドゥッカです、欲しいものが得られないこともまたドゥッカです。要するに、五つの執着する蘊がドゥッカです。友よ、何が五つの執着の蘊でしょうか?それはこのようにです—色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊です。

パーリ語

(3/21)

301.

1055 Katamañcāvuso, dukkhaṃ ariyasaccaṃ? Jātipi dukkhā, jarāpi dukkhā, maraṇampi dukkhaṃ, sokaparidevadukkhadomanassupāyāsāpi dukkhā, yampicchaṃ na labhati tampi dukkhaṃ; saṃkhittena, pañcupādānakkhandhā dukkhā. Katame cāvuso, pañcupādānakkhandhā? Seyyathidaṃ—rūpupādānakkhandho, vedanupādānakkhandho, saññupādānakkhandho, saṅkhārupādānakkhandho, viññāṇupādānakkhandho.

Katamañcāvuso, dukkhaṃ ariyasaccaṃ? Jātipi dukkhā, jarāpi dukkhā, maraṇampi dukkhaṃ, sokaparidevadukkhadomanassupāyāsāpi dukkhā, yampicchaṃ na labhati tampi dukkhaṃ; saṃkhittena, pañcupādānakkhandhā dukkhā
katamañcāvuso:katamaṃ(katama 「どれ・どの」 n. nom.)+ca + āvuso 「友よ」 →
dukkhaṃ: dukkha 「苦」(n. nom.)→
ariyasaccaṃ?:ariyasacca (n. nom.) →「聖なる真理であるか?」
jātipi:jāti 「生」(f. nom.)+ pi 「〜も」 →「生もまた」
dukkhā:dukkha 「苦」(n. nom.) →「苦である」
jarāpi:jarā「老」(f. nom.)+ pi →「老もまた」
maraṇampi:maraṇaṃ(maraṇa 「死」 n. nom.)+ pi →「死もまた」
sokaparidevadukkhadomanassupāyāsāpi:soka 「悲しみ」+ parideva 「嘆き」+ dukkha 「苦しみ」+ domanassa 「悩み」+ upāyāsa 「失望」+ api →「悲しみ、嘆き、苦しみ、悩み、失望もまた」
yampicchaṃ:yaṃ(ya, n. nom.)「〜のところものが」+ (p)+ iccha (a.)「望んでいる・欲しい」 →
na:(否定)
labhati: labh + a gets; obtains; attains.→「得る」
tampi:taṃ「それ」(taṃ nom.)+ pi →
saṃkhittena:saṅkhittena (saṅkhitta「簡略の」(a.)) →「要するに・要略すれば」
pañcupādānakkhandhā: pañca 「五」+upādāna 「取・執着」+(k)khandha 「蘊」(m. pl. nom.) →「五つの執着する蘊が(五取蘊が)」

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