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最終更新時間: 2015-06-29 12:47

ダンマパダ第33偈

[ダンマパダ]

目次

第33偈

パーリ語

Phandanaṃ capalaṃ cittaṃ,

dūrakkhaṃ dunnivārayaṃ;

Ujuṃ karoti medhāvī,

usukārova tejanaṃ.

phandanaṃ: phandana 「 throbbing(ズキズキする)、motion, agitation」(n. nom.)) →「揺れ動く(ものである))」
capalaṃ: capala 「動揺する, fickle(気まぐれ), wavering, undteady」(a. nom.) →「落ち着かない(ものである)」
cittaṃ: citta 「こころ」(n. nom.) →「こころは」
dūrakkhaṃ: dūrakkha 「守り難い, to protect」(a.) →
dunnivārayaṃ;: dunnivāraya 「禁制し難い」(a.) (du + nivāraya: vivāreti「防ぐ・防護する」のgrd) →
ujuṃ: uju 「真っ直ぐ」(a.) →
karoti: karoti「なす・行う・作る」 →
medhāvī: medhāvin 「智慧さる人・賢者」(m. nom.) →
usukārova: usu 「矢」(m.)+ kāra 「作る者」(m. nom.)+va (iva)「〜のように・〜の如く」 →
tejanaṃ: tejana 「矢」(n. acc.) →「矢」

日本語訳

こころは揺れ動き、落ち着かないもの、

守り難く、御し難い

賢者は(こころを)真っ直ぐ(正しく)なす

弓作りが矢をそうするように


Gatha 33


22x22(2649bytes)上記のダンマパダの日本語訳については著作権は放棄します。御自由にお使い下さい(編集・改変・ソフトウェアに組込むなど)。ただし日本語訳についての質・内容は保証しませんし、この訳をご利用になる上で生じるいかなる不都合に対して、上の日本語訳の作者は責任を負いません。

訳が拙い・不適切なところがあるかも知れません。御指摘あれば幸いです。

初出: Mon January 03 2011 09:03 (+0900)

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Dhmmapada ePub

[ダンマパダ][eBook]

Dhammapada (F. Max Müllerによる英訳)の ePub形式を作ってみました。御自由にお使い下さい。(日本語環境用)

もともとは、Project Gutenberg あった Public domain のものです。ところが目次などが形成されおらず、同Pjのhtml版を元に作り直しました。

日本語環境用に作りましたので、iBooks上では辞書は英和辞書が機能します。

ePubはipad, iphoneなどで読むことが出来る電子書籍です。

iPad上のiBooksとLinux上のCalibreで確認しています。

上記のePubファイルの閲覧によってお使いの機器にいかなる問題が生じたとしても、責任は負いません。御自身の責任でご利用下さい。

Here is Dhammapada English tranlation by F. Max Müller ePub.(for English environment)

A public domain Englihs translation of Dhammapada ePub can be found at Project Gutenberg.But I found that the ePub does not have a table of contents.So I reformatted from the html version of it.

ePub is an electronic book format that can be read on ipad, iphoe, and other reader apps.

The ePub file is tested on iBooks for iPad and Calbre running on Linux.

THE EPUB FILE IS DISTRIBUTED IN THE HOPE THAT IT WILL BE USEFUL, BUT WITHOUT ANY WARRANTY. IT IS PROVIDED "AS IS" WITHOUT WARRANTY OF ANY KIND, EITHER EXPRESSED OR IMPLIED, INCLUDING, BUT NOT LIMITED TO, THE IMPLIED WARRANTIES OF MERCHANTABILITY AND FITNESS FOR A PARTICULAR PURPOSE. THE ENTIRE RISK AS TO THE QUALITY AND PERFORMANCE OF THE EPUB FILE IS WITH YOU. SHOULD THE PROGRAM PROVE DEFECTIVE, YOU ASSUME THE COST OF ALL NECESSARY SERVICING, REPAIR OR CORRECTION.

IN NO EVENT UNLESS REQUIRED BY APPLICABLE LAW THE AUTHOR WILL BE LIABLE TO YOU FOR DAMAGES, INCLUDING ANY GENERAL, SPECIAL, INCIDENTAL OR CONSEQUENTIAL DAMAGES ARISING OUT OF THE USE OR INABILITY TO USE THE PROGRAM (INCLUDING BUT NOT LIMITED TO LOSS OF DATA OR DATA BEING RENDERED INACCURATE OR LOSSES SUSTAINED BY YOU OR THIRD PARTIES OR A FAILURE OF THE PROGRAM TO OPERATE WITH ANY OTHER PROGRAMS), EVEN IF THE AUTHOR HAS BEEN ADVISED OF THE POSSIBILITY OF SUCH DAMAGES.


初出: Sat September 11 2010 23:26 (+0900)


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ダンマパダ第92偈

[ダンマパダ]

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第92偈

パーリ語

Yesaṃ sannicayo natthi, ye pariññātabhojanā;

Suññato animitto ca, vimokkho yesaṃ gocaro;

Ākāseva sakuntānaṃ, gati tesaṃ durannayā.

yesaṃ: ya (pl. m. gen.) →「(貯めることの無い)人々の」
sannicayo: sannicaya 「貯めること」 →
natthi: na (否定)+ atthi 「ある」 →
ye: ya (m. pl.nom.) →「(食を知り尽くした)人々は」
pariññātabhojanā;: pariññāta (parijānātiのpp)「遍知した」+ bhojana 「食」(n. abl.?) →
suññato: suññata 「空の」(a. nom.) →「空であること」
animitto: animitta 「無相の」(a. nom.) →「無相であること」
ca:「また」
vimokkho: vimokkha 「解脱」(m. nom.) →
gocaro;: gocara 「範囲・境地」 →
ākāseva: ākāsa 「空」(loc.)+ va 「〜のように」 →
sakuntānaṃ: sakunta 「鳥」(m. pl. gen. dat.) →
gati: gati 「行方・方向」(f.) →
tesaṃ: so (m. pl. gen.) →「その人々の」
durannayā: dur 「難しい」+ annayā(anvaya 「従うこと・随うこと・推比」f. nom.) →「見付け難い」

日本語訳

(何をも)貯めることの無い人々、食(命)を知り尽くした人々、

空であること、無相であること、解脱の境地である人々、

その人々の向かう先は知り難い。空の鳥の行き先のように。


参考

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ダンマパダ第183-185偈 註釈 (3/3)

[ダンマパダ][注釈書]

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183,184,185偈註釈:パーリ語(2)

Tattha sabbapāpassāti sabbassa akusalakammassa. Upasampadāti abhinikkhamanato paṭṭhāya yāva arahattamaggā kusalassa uppādanañceva uppāditassa ca bhāvanā. Sacittapariyodapananti pañcahi nīvaraṇehi attano cittassa vodāpanaṃ. Etaṃ buddhāna sāsananti sabbabuddhānaṃ ayamanusiṭṭhi.

Tattha sabbapāpassāti sabbassa akusalakammassa
tattha: adv. there; in that place.→「ここに」
sabbapāpassāti:「sabbapāpassāとは」
sabbassa: sabba 「全て」(sg. dat.)→「全て(の)」
akusalakammassa:akusala 「不善」+ kamma 「行為(sg. dat.)→「不善行為を」

ここにsabbapāpassāとは、全ての不善行為を(という意味です)。

Upasampadāti abhinikkhamanato paṭṭhāya yāva arahattamaggā kusalassa uppādanañceva uppāditassa ca bhāvanā
upasampadāti:「upasampadāとは」
abhinikkhamanato:abhinikkhamana「出家」(sg. abl)→「出家から」
paṭṭhāya: ind. beginning with; henceforth; from the timeof.→「〜から・して以来」
yāva:「〜まで・〜の限り・〜の間は」
arahattamaggā:arahattamagga 「阿羅漢道」(pl. nom.)→
uppādanañceva:uppādanaṃ「なすこと」+ ca 「また」+ eva 「こそ」(?)→
uppāditassa:uppādita(uppādeti「なす」の pp)(gen., dat.)→「なした・つくった」
bhāvanā:bhāvanā「修行」(f. pl. nom.)→

Upasampadāとは、出家した限りは阿羅漢道は、善をなすこととなした(?)修行(という意味です)。

Sacittapariyodapananti pañcahi nīvaraṇehi attano cittassa vodāpanaṃ

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ダンマパダ第183-185偈 註釈 (2/3)

[ダンマパダ][注釈書]

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183,184,185偈註釈

4.Ānandattherapañhavatthu

Ānandattherapañhavatthu
ānandattherapañhavatthu:ānanda 「アーナンダ(尊者)」+ (t)thera 「長老」+pañha 「質問」+vatthu 「事」→

アーナンダ長老の質問の事

Sabbapāpassa akaraṇanti imaṃ dhammadesanaṃ satthā jetavane viharanto ānandattherassa pañhaṃārabbha kathesi.

Sabbapāpassa akaraṇanti imaṃ dhammadesanaṃ satthā jetavane viharanto ānandattherassa pañhaṃārabbha kathesi
sabbapāpassa:sabba 「一切の・全て(の)」+ pāpa 「悪」(dat.) →「一切の悪を」
akaraṇanti:a+ karaṇaṃ「しないこと」+ ti →「しないこと、とは」
imaṃ:imaṃ「これ」(acc.)→「この(〜に)」
dhammadesanaṃ:dhamma 「法」+ desana 「教示」(acc.)→「説法を」
satthā:satthar 「師」(nom.)→「師が」
jetavane:jetavana 「ジェータ林」(loc.)→「ジェータ林において」
viharanto:viharati 「住む」(ppr. nom.)→「お住みになっている時に」
ānandattherassa:ānanda+(t)thera 「長老」(gen.)→「アーナンダ長老の」
pañhaṃ:pañha 「質問」(acc.)→「質問に」
ārabbha: ind. beginning with; referring to; about.→「関して」
kathesi: aor. of katheti said; spoke; related.→「言われた」

「一切の悪を行わないこと」というのは、この説法を、師がジェータ林にお住まいの時に、アーナンダ長老のご質問に関してなさいました。

Thero kira divāṭṭhāne nisinno cintesi –‘‘satthārā sattannaṃ buddhānaṃ mātāpitaroāyuparicchedo bodhi sāvakasannipāto aggasāvakasannipāto aggasāvakaupaṭṭhākoti idaṃ sabbaṃ kathitaṃ, uposatho pana akathito, kiṃ nu kho tesampi ayameva uposatho, añño’’ti? So satthāraṃ upasaṅkamitvā tamatthaṃ pucchi. Yasmā pana tesaṃ buddhānaṃ kālabhedova ahosi, na kathābhedo. Vipassī sammāsambuddho hi sattame sattame saṃvacchare uposathaṃ akāsi. Ekadivasaṃ dinnovādoyeva hissa sattannaṃ saṃvaccharānaṃ alaṃ hoti. Sikhī ceva vessabhū ca chaṭṭhe chaṭṭhe saṃvacchare uposathaṃ kariṃsu, kakusandho koṇāgamano ca saṃvacchare saṃvacchare. Kassapadasabalo chaṭṭhe chaṭṭhe māse uposathaṃ akāsi. Ekadivasaṃ dinnovādo eva hissa channaṃ māsānaṃ alaṃ ahosi. Tasmā satthā tesaṃ imaṃ kālabhedaṃārocetvā‘‘ovādagāthā pana nesaṃ imāyevā’’ti vatvā sabbesaṃ ekameva uposathaṃāvi karonto imā gāthā abhāsi –

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ダンマパダ第183-185偈 註釈 (1/3)

[ダンマパダ][注釈書]

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183,184,185偈註釈

日本語訳

Ānandattherapañhavatthu

アーナンダ長老の質問の事

「一切の悪を行わないこと」というのは、この説法を、師がジェータ林にお住まいの時に、アーナンダ長老のご質問に関してなさいました。

長老は、伝え聞くところでは、日中に座って(こう)お考えになりました–「師によって、7人のブッダ達の母・父が、(それらの)寿命の長さが、(それらの)菩提樹が、(それらの)弟子達が、(それらの)第一の弟子達が、(それらの)第一の援助者達が、これらすべてが説かれています。布薩は、しかし説かれていません。,何が、実に、かのブッダ達とこの布薩の違いでしょうか」と。長老は、師に近付いて、その疑問をお尋ねになりました。

それらのブッダ達には時期の違いはありましたが、しかし、説かれた事の違いはありませんでした。ヴィッパシー正自覚者は、実に七年目毎に布薩をなさいました。一日の説法が実に、七年に十分でした。スィッキー(・ブッダ)もヴェッサブー(・ブッダ)もまた、六年毎に布薩をされ、カクサンド(・ブッダ)、コーナガマナ(・ブッダ)もまた一年毎に(布薩をなさいました)。カッサパ十力(仏)は、六ヶ月毎に布薩をなさいました。一日になさった説法は実に六ヶ月に十分でした。それ故に、師はそれらブッダ達のこの時期の違いを話され、「教示の偈は、しかし、それら(過去のブッダ達)のこれです」と言われ、明瞭に全てが同じ(内容の)布薩であるとしつつ、これらの偈を語られました。

183
Sabbapāpassa akaraṇaṃ,(一切の悪をしないこと、)
kusalassa upasampadā;(善に到達すること、)
Sacittapariyodapanaṃ,(己の心を清めること、)
etaṃ buddhāna sāsanaṃ.(これが諸仏の教え。)

184
Khantī paramaṃ tapo titikkhā,(忍耐・堪忍は最上の修行、)
Nibbānaṃ paramaṃ vadanti buddhā;(涅槃は最高のもの、と諸仏は説き給う。)
Na hi pabbajito parūpaghātī,(他を害する者は出家にあらず、)
Na samaṇo hoti paraṃ viheṭhayanto.(他を困らせる者は沙門にあらず。)

185
Anūpavādo anūpaghāto,(非難しないこと、害さないこと)
Pātimokkhe ca saṃvaro;(戒において、また(自分を)守ること)
Mattaññutā ca bhattasmiṃ,(食べることおいて、また適量を知ること)
Pantañca sayanāsanaṃ;(独り、また臥座すること)
Adhicitte ca āyogo,((増上)心において、また努めること)
Etaṃ buddhāna sāsanaṃ.(これが諸仏の教え。)

ここにsabbapāpassāとは、全ての不善行為を(という意味です)。 Upasampadāとは、出家した限りは阿羅漢道は、善をなすこととなした(?)修行(という意味です)。 sacittapariyodapanaṃとは、五蓋から自己の心を清らかにすることです。 Etaṃ buddhāna sāsananとは、全てのブッダ達のこの教え(という意味です)。

khantī(忍耐)とは、このtitikkhā(堪える)と称するkhantīが、この教えにおいて最高、最上の修行である(という意味です)。 Nibbānaṃ paramaṃ vadanti buddhā(涅槃は最高のものである、と諸仏は説きたもう)とは、ブッダも、独覚も、随覚も、これら三つのブッダ達が最上であると説かれた(という意味です)。 Na hi pabbajito とは、手などによって他を殺している時、傷つけている時、他を害している者は、実に、出家ではない(という意味です)。 na samaṇoとは、言われた方法で、他を困らせしめる者はまた沙門ではない(という意味です)。

anūpavādoとは、非難しないことと、また非難せしめないこと(という意味です)。 anūpaghātoとは、害さないことと、また害させしめないこと(という意味です)。 pātimokkheとは、最勝の戒において(という意味です)。 saṃvaroとは、覆うこと(という意味です)。 mattaññutāとは、mattaññuの状態が分量を知ること(という意味です)。 pantaṃとは遠離した(という意味です)。 adhicitteとは、八等至を察量する増上心において(という意味です)。āyogoとは努力すること(です)。 etaṃ(これが)とは、全てのブッダ(達)の教えである(という意味です)。ここに、anūpavāda(「非難しないこと」)によって言葉の戒が説かれ、 anūpaghāta(「害さないこと」)によって身体の戒が、pātimokkhe ca saṃvaro(「戒律において、また(自分を)守ること」)と戒が説かれ、 anūpaghāta(「害さないこと」)によって身体の戒が、pātimokkhe ca saṃvaro(「戒律において、また(自分を)守ること」)と、これによって戒律を護ること(戒律儀)も、また根を護ること(根律儀)をも、mattaññutā(「適量を知ること」)によって、生活を完全に清浄にすること(「活命清浄」)も、また生活必需品の適量をわきまえること(「資具依止」)をも、pantasenāsana (「独り臥座すること」)によって適切な住まいが、adhicitta(増上心)によって八つの定が(説かれています)。このように、この偈によって三学こそもまた説かれています、と。

説法の終りに、多くが預流果などを得ました、と。

アーナンダ長老の質問の事・第四。

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ダンマパダ第185偈

[ダンマパダ]

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第185偈

パーリ語

Anūpavādo anūpaghāto,

Pātimokkhe ca saṃvaro;

Mattaññutā ca bhattasmiṃ,

Pantañca sayanāsanaṃ;

Adhicitte ca āyogo,

Etaṃ buddhāna sāsanaṃ.

anūpavādo: anūpavāda(an 「(否定)」+ upavāda 「非難」)「非難しない」(a.)→「非難しないこと」
anūpaghāto: anūpaghāta (an「否定」+ ūpaghāta)「害さない」→「害さないこと」
pātimokkhe: pāṭimokkha 「戒」(loc.)→「戒において」
ca:「また」
saṃvaro;: saṃvara (saṃvarati 「護る・制御する」)→「護ること」
mattaññutā: matta 「量」+ (ñ)ñu「知る」+ tā(-tā抽象化の接尾辞)→「適量を知ること」
bhattasmiṃ: bhatta 「食、食事」(loc.)→「食べることにおいて」
pantañca: panta 「辺境・独り・世間から離れて」(acc.)+ ca →
sayanāsanaṃ;: sayana 「臥」āsana 「座」(nom.?)→
adhicitte: adhicitta (loc.)→「(増上)心において」
āyogo:āyoga 「努力・研鑽」(nom.)→「研鑽すること」
etaṃ: etad 「これ」(n. nom.)→「これが」
buddhāna: buddha 「ブッダ」(pl., gen.)→「諸仏の」
sāsanaṃ: sāsana 「教え・教説」(n. nom.)→「教え(である)」

日本語訳

非難しないこと、害さないこと

戒において、また(自分を)守ること

食べることおいて、また適量を知ること

独り、また臥座すること

(増上)心において、また努めること

これが諸仏の教え。

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ダンマパダ第184偈

[ダンマパダ]

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第184偈

パーリ語

Khantī paramaṃ tapo titikkhā,

Nibbānaṃ paramaṃ vadanti buddhā;

Na hi pabbajito parūpaghātī,

Na samaṇo hoti paraṃ viheṭhayanto.

khantī: khantī「忍ぶこと」(f. nom.)→「忍ぶことは」
paramaṃ: parama (a.)「最高の」→
tapo: tapo 「訓練」(m. nom.)→
titikkhā: titikkhā(tij のdesid.示意動詞「鋭からんと欲する」)「忍耐」(f. nom.)→
nibbānaṃ: nibbāna 「涅槃」(n. nom.)→「涅槃は」
vadanti: vadati 「説く」(3rd, pl.)→「説かれる」
buddhā;: buddha 「ブッダ」(pl. nom.)→「諸々のブッダ達が」
na:「〜でない」
hi:「実に」
pabbajito: pabbajita 「出家」(nom.)→「出家(である)」
parūpaghātī: para 「他」+ upaghāti 「害する」(a.)→「他を害する者は」
samaṇo: samaṇa 「沙門」(nom.)→「沙門(である」
hoti: hoti →「〜である」
paraṃ: para 「他」(acc.)→「他を」
viheṭhayanto: viheṭheti 「困らせる・悩ませる」(caus.? ppr. nom.)→「困らせる者は」

日本語訳

忍耐・堪忍は最上の修行、

涅槃は最高のもの、と諸仏は説き給う。

他を害する者は出家にあらず、

他を困らせる者は沙門にあらず。

参考

  • Gatha 184
  • 日常読誦経典(日本テーラワーダ仏教協会)

22x22(2649bytes)上記のダンマパダの日本語訳については著作権は放棄します。御自由にお使い下さい(編集・改変・ソフトウェアに組込むなど)。ただし日本語訳についての質・内容は保証しませんし、この訳をご利用になる上で生じるいかなる不都合に対して、上の日本語訳の作者は責任を負いません。

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ダンマパダ第183偈

[ダンマパダ]

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第183偈

パーリ語

Sabbapāpassa akaraṇaṃ,

kusalassa upasampadā;

Sacittapariyodapanaṃ,

etaṃ buddhāna sāsanaṃ.

sabbapāpassa: sabba 「一切の」+ pāpa 「悪」(sg. dat.)→「一切の悪を」
akaraṇaṃ: a + karaṇa 「しないこと」→「しないこと」
kusalassa: kusala 「善い」(dat.)→「善を」
upasampadā: upasampadā(upsampajjati 「到達する・成就する」)→「到達すること」
sacittapariyodapanaṃ: sacitta (sva-citta)「自分の心」+ pariyodapanā(f.?)(pari 「遍く・完全に」+ odapeti ?)「浄化」(nom.)→「自分の心を清らかにすること」
etaṃ: etad 「これ」(n. nom.)→「これが」
buddhāna: buddha 「ブッダ」(pl., gen.)→「諸仏の」
sāsanaṃ: sāsana 「教え・教説」(n. nom.)→「教え(である)」

日本語訳

一切の悪をしないこと、

善に到達すること、

己の心を清めること、

これが諸仏の教え。


Gatha 183


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訳が拙い・不適切なところがあるかも知れません。御指摘あれば幸いです。

初出: Sun February 08 2009 21:42 (+0900)


Dhammapadaのパーリ語はe-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)のパーリ経典を元にしています

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[ダンマパダ][注釈書]

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266-267偈註釈

日本語訳

Natena bhikkhu so hotī(「だからといって彼は比丘ではない」)とは、この説法を師がジェータ林にお住みになっている時に、あるバラモン人に関してお話されました。

彼は聞くところによると他の宗義において出家して托鉢に行っている時に考えました:–「沙門ゴータマは、自分の弟子達を托鉢の行為でもって『比丘達』と呼んでいます、私のことをもまた、『比丘』と呼ぶのが適当でしょう」と。彼は師に近付いて「友よ、ゴータマよ、私もまた托鉢で生きています、私のことをもまた『比丘』と呼んで下さい」と言いました。時に、それに(対して)師は「私は、バラモン人よ少量を托鉢することで比丘と言いません。実に、正しくない教えを受けている時比丘ではありません。しかし、全ての行為において分別して歩む者は、彼は比丘と呼ばれます」と説いて、次の偈を語られました–

「それ故にその人が比丘(bhikkhu)ではない
他から托鉢(bhikkhate)するということだけでは。
正しくない教えを受けて、
彼が比丘である、ということはない、そのことだけで。」

「この世の、利益をも、悪をも
離れて清らかな行いを実践する者
見分けて、世界を歩む、
彼は実に「比丘と」言われる」と。

そこに yāvatāとは他から托鉢することだけでもって,少量を托鉢することでもって実に比丘ではない、ということです。Vissaṃとは、正しくない教え、生肉の臭いがする、または、身体の儀式などの教えを受け実践することが実に比丘ではない、ということです。Yodhāとは、この世で、教えにおいて利益をも、悪をもの両方から道梵行によって離れて、排除して梵行を実践する者、ということです。 Saṅkhāyāとは智慧によってということです。 Lokeとは、蘊などの世界を「これらは内蘊である、これらは外(蘊?)である」と、このように全ての真理をも知って歩む、彼は智慧によって煩悩を破ったことによって「比丘」と言われる、という意味です。

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ダンマパダ第267偈

[ダンマパダ]

目次

第267偈

パーリ語

Yodha puññañca pāpañca,

bāhetvā brahmacariyavā;

Saṅkhāya loke carati,

sa ve “bhikkhū”ti vuccati.

yodha: yo 「〜のところのもの」(nom.)+ idha 「ここに・この世で」→
puññañca: puññañ「利益も」+ ca「〜も」→
pāpañca: pāpañ「悪」+ ca 「〜も」→
bāhetvā: bāhati 「離れる・距離を置く」(ger.)→「離れて」
brahmacariyavā;: brahmacariyavant 「梵行を実践する」(nom.)→
saṅkhāya: saṅkhāyati「考慮する・見分ける」(ger.)→「分別して」
loke: loka (sg. loc.(pl. acc.?))→「世間において・世間で」
carati: carati →「歩む・実践する」
sa:(= so)→「彼は」
ve:「実に」
“bhikkhū”ti:“bhikkhū”ti →
vuccati: vuccati (vac. pass.)「言われる」

日本語訳

この世の、利益をも、悪をも

離れて清らかな行いを実践する者

見分けて、世界を歩む、

彼は実に「比丘と」言われる


Gatha 267


22x22(2649bytes)上記のダンマパダの日本語訳については著作権は放棄します。御自由にお使い下さい(編集・改変・ソフトウェアに組込むなど)。ただし日本語訳についての質・内容は保証しませんし、この訳をご利用になる上で生じるいかなる不都合に対して、上の日本語訳の作者は責任を負いません。

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ダンマパダ第266偈

[ダンマパダ]

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第266偈

パーリ語

Na tena bhikkhu so hoti,

yāvatā bhikkhate pare;

Vissaṃ dhammaṃ samādāya,

bhikkhu hoti na tāvatā.

na: na →(否定)
tena: tena →「〜であるから」
bhikkhu: bhikkhu「比丘」(sg. nom.)→
so: so →
hoti: hoti 「〜である」(sg. 3rd)→
yāvatā: yāvant 「所のそれだけ」(abl.)→「〜である限り・〜だけで」
bhikkhate: bhikkhati「托鉢する」(med. sg. 3rd.)→
pare;: para 「他」(sg. loc.)→
vissaṃ: vissa 「全て」(acc.)([1],[2]には「全て」という意味が載っています。[3]には文脈としては意味がとり難いとあります)→「正しくない」(註釈を参考にしました)
dhammaṃ: dhamma (acc.);→「法を」
samādāya: samādiyati「取る・受ける」(ger.)→「受けて・取って」
tāvatā: tāvatā→「それだけ」

日本語訳

それ故にその人が比丘(bhikkhu)ではない

他から托鉢(bhikkhate)するということだけでは。

正しくない教えを受けて、

彼が比丘である、ということはない、そのことだけで。


参考

[1] D. Andersen "PĀLI READER AND PĀLI GLOSSARY"

[2] R. Davids and Stede "PALI-ENGLISH DICTIONARY"

[3] Gatha 266


22x22(2649bytes)上記のダンマパダの日本語訳については著作権は放棄します。御自由にお使い下さい(編集・改変・ソフトウェアに組込むなど)。ただし日本語訳についての質・内容は保証しませんし、この訳をご利用になる上で生じるいかなる不都合に対して、上の日本語訳の作者は責任を負いません。

訳が拙い・不適切なところがあるかも知れません。御指摘あれば幸いです。

初出: Sun January 04 2009 17:54 (+0900)

修正: Wed January 07 2009 21:29 (+0900)


Dhammapadaのパーリ語はe-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)のパーリ経典を元にしています

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ダンマパダ第394偈

[ダンマパダ]

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第394偈

パーリ語

Kiṃ te jaṭāhi dummedha,

kiṃ te ajinasāṭiyā;

Abbhantaraṃ te gahanaṃ,

bāhiraṃ parimajjasi.

kiṃ: ka「何」(n. nom.)→「何が」
te: tvaṃ(gen.)→「あなたの」
jaṭāhi: jaṭā「結髪」(f.)+ hi「実に」→
dummedha: dummedha (a. voc.)→「愚か者よ」
ajinasāṭiyā;: ajina 「羊皮・かもしかの皮」+ sāṭiya(= sāṭka)「衣」(pl. nom.)→
abbhantaraṃ: abbhantara 「内側・内面」(nt. nom.)→
gahanaṃ: gahana 「密林」(n. nom.)→
bāhiraṃ: bāhira 「外側」(acc.)→
parimajjasi: parimajjati 「磨く・こする」(sg. 2nd.)→「(あなたは)磨く」

日本語訳

何が結髪か、愚かな者よ

何が羊皮衣か

あなたの内側は密林

外側をあなたは磨く


Gatha 394


22x22(2649bytes)上記のダンマパダの日本語訳については著作権は放棄します。御自由にお使い下さい(編集・改変・ソフトウェアに組込むなど)。ただし日本語訳についての質・内容は保証しませんし、この訳をご利用になる上で生じるいかなる不都合に対して、上の日本語訳の作者は責任を負いません。

訳が拙い・不適切なところがあるかも知れません。御指摘あれば幸いです。

初出: Sun August 17 2008 16:23 (+0900)


Dhammapadaのパーリ語はe-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)のパーリ経典を元にしています

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ダンマパダ第17偈

[ダンマパダ]

目次

第17偈

パーリ語

Idha tappati pecca tappati,

Pāpakārī ubhayattha tappati;

‘‘Pāpaṃ me katan”ti tappati,

Bhiyyo tappati duggatiṃ gato.

idha:ここに、この世で
tappati:燒ける、苦しむ
pecca:過ぎ去って、死後に
pāpakārī: pāpa 「悪い」+ kārī(kārin「作る・行う者」の男性・単数・主格)→「悪い行いをする者は」
ubhayattha:両方で
pāpaṃ: pāpa「悪」nom.
me: ahaṃ(inst.)「私によって」
katan:(karotiのpp.: kataṃ+ ti)
bhiyyo:(bhūの比較級)さらに多く、より多く
duggatiṃ: duggati 「悪い境遇・界」(f. acc.)→「悪い境遇に」
gato: gata:(gamのpp.)「行った、逹っした(者)」

日本語訳

この世で苦しみ、あの世で苦しむ

悪いい行いをする者は両方で苦しみます

「私は悪いことをした」と苦しみます

さらに苦しみ、悪い境遇に行く(生まれる)のです


参考

Dhammapada-aṭṭhakathā

Tattha idha tappatīti idha kammatappanena domanassamattena tappati.Peccāti paraloke pana vipākatappanena atidāruṇena apāyadukkhena tappati.Pāpakārīti nānappakārassa pāpassa kattā.Ubhayatthāti iminā vuttappakārena tappanena ubhayattha tappati nāma.Pāpaṃ meti so hi kammatappanena kappanto‘‘pāpaṃ me kata’’nti tappati. Taṃ appamattakaṃ tappanaṃ, vipākatappanena pana tappanto bhiyyo tappati duggatiṃ gato atipharusena tappanena ativiya tappatīti.

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ダンマパダ第16偈

[ダンマパダ]

目次

第16偈

パーリ語

Idha modati pecca modati,

Katapuñño ubhayattha modati;

So modati so pamodati,

Disvā kammavisuddhimattano.

idha:ここに、この世で
modati:(&raddic mud)(三人称・現在)喜ぶ
pecca:過ぎ去って、死後に
modati:
katapuñño: kata (karotiのpp)「なした」+ puñña 「福、善、功徳」(= puñña + kata 「善をなした」者のnom.?)→「善をなした者は」
ubhayattha:両方に
modati;:
so:
modati:
so:
pamodati:pa + mu + a「喜ぶ・楽しくなる」
disvā: dassati「見る」のger.「見て」
kammavisuddhimattano:kamma 「行為」+ visuddhim(ṃ)(visuddhiの対格)「清らかなるを」+attano「自己の」(-an語基の属格)

日本語訳

この世で喜び、死後に喜ぶ

善い行いをした者は両方で喜びます

彼は喜び、楽しくなります

自分の行為の清らかなるを見て。


参考

Gatha 16


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訳が拙い・不適切なところがある思います。御指摘あれば幸いです。

初出: Wed July 23 2008 22:16 (+0900)


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ダンマパダ第15偈

[ダンマパダ]

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第15偈

パーリ語

Idha socati pecca socati,

Pāpakārī ubhayattha socati;

So socati so vihaññati,

Disvā kammakiliṭṭhamattano.

idha:ここに、この世で
socati:(三人称・現在)憂う悲しむ
pecca:過ぎ去って、死後に
socati:
pāpakārī: pāpa 「悪い」+ kārī(kārin「作る・行う者」の男性・単数・主格)→「悪い行いをする者は」
ubhayattha:両方に
vihaññati:(vihanati「打つ、殺害する」のpass.)「打たれる」
disvā: dassati「見る」のger.「見て」
kammakiliṭṭhamattano: kamma 「行為」+ kiliṭṭham(ṃ)「汚染された、染まった」(対格)+ attano 「自己」(-an語基の属格)

日本語訳

この世で憂い、死後に憂う

悪い行いをする者は両方で憂います

彼は憂い、苦しみます

自分の行為の汚れたるを見て。


参考

Gatha 15


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訳が拙い・不適切なところがある思います。御指摘あれば幸いです。

初出: Mon July 14 2008 21:35 (+0900)
修正: Wed July 23 2008 22:16 (+0900)


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ダンマパダ第14偈

[ダンマパダ]

ܒ

14

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Yathā agāraṃ suchannaṃ,

vuṭṭhī na samativijjhati;

Evaṃ subhāvitaṃ cittaṃ,

rāgo na samativijjhati.

yathā:Β蒤˒Βǡ
agāraṃ: agāra (n)֒ȒȒגΒВ
suchannaṃ,: su ֒蒤+ channa֒ʤ쒤쒤גΒВ
vuṭṭhī: vuṭṭhi ֒גΒʣ璳
na:(ݒ)֒ǒʒ
samativijjhati;: sam ֒+ ati ֒咡Ķ璤+ vijjhati ֒Ӓג̒Ӓ̒
evaṃ:Β蒤
subhāvitaṃ:su֒蒤+ bhāvita ֒쒤→֒쒤ƒʒ
cittaṃ,: citta֒גΒВ→֒
rāgo: rāga ֒ŒŒߒגΒ璳→֒Œߒ
na:
samativijjhati.:

ܒ

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Gatha 14


22x22(2649bytes)咵ΒޒђΒܒ˒Ēƒϒϒޒ撼ͳ˒Ȓ(ԒђՒȒ˒Ȓʒ)ܒ˒ĒƒΒƒϒݒڒޒ󒤷Β򒤴ђ˒ʒ뒾咤ǒ뒤ʒԒԒ璤˒Вƒ咤ΒܒΒԒϒՒǤ钤ޒ󒡣

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钽: Mon June 23 2008 18:11 (+0900)


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ダンマパダ第13偈

[ダンマパダ]

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第13偈

パーリ語

Yathā agāraṃ ducchannaṃ, vuṭṭhī samativijjhati;

Evaṃ abhāvitaṃ cittaṃ, rāgo samativijjhati.

yathā:〜のように、〜の如く
agāraṃ: agāra (n)「家、家屋」の対格
ducchannaṃ,: du 「悪く」+ channa「覆われた・葺かれた」の対格
vuṭṭhī: vuṭṭhi 「雨」の複数・主格
samativijjhati;: sam 「集・共」+ ati 「上・超え・大きい」+ vijjhati 「貫く」通す・貫通する
evaṃ:このように
abhāvitaṃ: a(否定)+ bhāvita 「修習された」→「修習されていない」
cittaṃ,: citta「心」の対格→「心を」
rāgo: rāga 「貪・貪欲」の主格→「貪欲が」
samativijjhati.:


日本語訳

屋根がよく葺かれていない家に、雨が入りこむように

よく育てられていない心に、貪欲が入りこみます


参考

Gatha 13


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訳が拙い・不適切なところがある思います。御指摘あれば幸いです。

初出: Sat June 07 2008 20:46 (+0900)


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ダンマパダ第12偈

[ダンマパダ]

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第12偈

パーリ語

Sārañca sārato ñatvā asārañca asārato

Te sāraṃ adhigacchanti sammāsaṃkappagocarā.

sārañca:sāraṃ(目的格)+ ca 「核心(本質)を」
sārato: sāra + to (副詞をつくる接尾辞)「本質として・本質のように」
ñatvā:jānāti「知る」のgerand→「知って」
asārañca:a + sāraṃ+ ca
asārato:
te: soの主格・複数「彼らは」
sāraṃ:目的格・単数「本質に」
adhigacchanti: adhigacchanti「到達する」
sammāsaṃkappagocarā.: sammā+ saṃkappa 「思惟」+gocara 「行境、範囲」の主格・複数→「正しい考えの範疇にある(人々)は」


日本語訳

本質を本質と知って、本質でないものをを本質でないと知り、

正しい考えの中にいる彼らは、本質に到達します。


参考

Gatha 12


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初出: Mon May 19 2008 21:54 (+0900)

修正: Wed May 21 2008 22:04 (+0900)


Dhammapadaのパーリ語は Journal of Buddhist Ethic のユニコード版のパーリ経典を元にしています。

パーリ語の表記に不具合がある場合は、こちらのページを試してみて下さい。

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