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最終更新時間: 2015-06-29 12:47

サーリプッタ尊者の生涯 (3)

[サーリプッタ尊者][Access To Insight]

Access to Insight Library にあるNyanaponika Thera による"The Life of Sariputta"を訳してみたものです。

目次
  • 序文
  • 第I部:誕生から阿羅漢になるまで
  • 第II部:智慧の完成
    • 友情
    • 他の人を助ける者
    • (解脱の)獲得
    • 法輪を転ずる者
    • サーリプッタ尊者の親類
    • 害意のない者
  • 第III部:彼岸
    • チュンダ経(Cunda Sutta)
    • ウッカチェーラ経(Ukkacela Sutta)
  • 第IV部:サーリプッタ尊者に関連する経典
  • 第V部:ジャータカにおけるサーリプッタ尊者
  • 付録:サーリプッタ尊者とマハーモッガラーナ尊者の遺骨についての覚書
  • 注釈

第II部:智慧の完成

友情

もしもサーリプッタ尊者が感謝の念をずっと持ち続けることが注目に値するというのであれば、尊者の友人としての面も勝るとも劣りません。マハー・モッガラーナ尊者とは、幼少のころから友人・相方であり、ずっと親密な関係でいて、そしてダンマについて数多くの会話を交わされました。なかでもとりわけ興味深いのは、サーリプッタ尊者の解脱の過程に光をあてたアングッタラニカーヤCatukka-nipata, No. 167にあります。この経典は、ある時マハー・モッガラーナ尊者がサーリプッタ尊者に会い行かれ、こう話しかけれられたと伝えています:

「友、サーリプッタよ、四つの(解脱への)道程があります:

苦行道・遅通達、
苦行道・速通達、
楽行道・遅通達、
楽行道・速通達

「友よ、この四つの行道のうちのどれで、友よ、執着なく漏から心が自由になったのでしょうか」これにサーリプッタ尊者がお答えになりました:「これらの四つの行道のうち、友よ、楽行道・速通達によってです」

この一節の説明は、もし禅定や智慧の前に、心の汚れを無くすことが、困難なく生じるとき、その歩みを楽行道(sukha-paṭipadā)と呼び、その逆は苦行道(dukkha-paṭipadā)と呼びます。心の汚れを無くした後に、智慧のゴール、道の到達が、もしも素早くなされるならば、その通達は「速」と呼ばれます(khippabhiññā)。その逆は「遅」と呼ばれます(dandhābhiññā)。この経典でのサーリプッタ尊者が言及しているのは、尊者が阿羅漢果を得た時のことです。尊者の最初の三つの道果を得る時については、しかしながら上記経典の注釈によれば、「楽行道、遅通達」です。

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長老偈第995偈 (Sāriputtattheragāthā) 注釈書

[長老偈][サーリプッタ尊者][注釈書]

長老偈第995偈(Sāriputtattheragāthā)注釈

日本語訳

「師が法を教示されていることに関して、彼は十分な条件を具足する」と比丘達における法話によって起った「調御の導き」を示しつつ「他の者に」と偈を口にされました。ここにaññassa(「他の者に」)とは、自分の甥に長爪の行者に関して言われたこと(です)。実に、彼に師が感覚への執着の経を教示されている時、この大長老が修道を証得して、声聞波羅蜜の智慧の頂上に到達されました。"Sotamodhesimatthiko"とは、師を扇ぎつつ立って望んでいて聴こうと欲しつつ耳を傾けた(ことです)。 Taṃ me amoghaṃ savanan (「それは私に空虚ではない傾聴でした)とは、それがかくの如く教えを聴くことが自分にとって空虚ではなく、無駄ではなく、第一弟子によって得られるべき成就の助けでした(ということです)。それ故に「解脱」などと言われたのです。

パーリ語

‘‘Yaṃārabbha satthā dhammaṃ deseti, so eva upanissayasampanno’’ti bhikkhūsu kathāya samuṭṭhitāya‘‘nayidameta’’nti dassento‘‘aññassā’’ti gāthamāha. Tattha aññassāti attano bhāgineyyaṃ dīghanakhaparibbājakaṃ sandhāyāha. Tassa hi satthārā vedanāpariggahasutte (ma. ni. 2.205-206) desiyamāne ayaṃ mahāthero bhāvanāmagge adhigantvā sāvakapāramīñāṇassa matthakaṃ patto. Sotamodhesimatthikoti satthāraṃ bījayamānoṭhito atthiko hutvā sussūsanto sotaṃ odahiṃ. Taṃme amoghaṃ savananti taṃ tathā sutaṃ savanaṃ mayhaṃ amoghaṃ avañjhaṃ ahosi, aggasāvakena pattabbaṃ sampattīnaṃ avassayo ahosi. Tenāha‘‘vimuttomhī’’tiādi.

‘‘Yaṃārabbha satthā dhammaṃ deseti, so eva upanissayasampanno’’ti bhikkhūsu kathāya samuṭṭhitāya‘‘nayidameta’’nti dassento‘‘aññassā’’ti gāthamāha
yaṃ:(nt. sing. of ya), adv. which; whatever thing. adv. because of.→
ārabbha: ind. beginning with; referring to; about.→「〜に関して」
satthā:satthar 「師」(nom.)→「師が」
dhammaṃ:dhamma「法」(acc.)→「法を」
deseti: dis + e points out; preaches; expounds.→「示す・教示する」
so:(nom. sin. of ta), m. he.→
eva: ind.(emphatic particle), only.→
upanissayasampanno:upanissaya 「近依・親依(基盤・支え・十分な条件)」+ sampanna 「具足する」→
bhikkhūsu:bhikkhu「比丘」(pl. loc.)→
kathāya:kathā「説・話」→
samuṭṭhitāya:samuṭṭhita「等起する・生起する」→
nayidameta’’nti:nayi (neti「導く」のaor.?「導いた」)+ dameta’’nti →(よく分りません)
dassento:dasseti「示す・見せる」(ppr.)→「示しつつ・見せつつ」
aññassā’’ti:aññassā’’ti →
gāthamāha:gāthaṃ「偈」(f. acc.)+ āha 「言った」→

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長老偈第995偈

[長老偈][サーリプッタ尊者]

目次

第995偈

パーリ語

Aññassa bhagavā buddho,

dhammaṃ desesi cakkhumā;

Dhamme desiyamānamhi,

sotamodhesimatthiko;

Taṃ me amoghaṃ savanaṃ,

vimuttomhi anāsavo.

aññassa: añña「他の、異なる」(dat.) →「別の者に」
bhagavā: bhagavant 「世尊」(nom.)→「世尊は(が)」
buddho: buddha 「ブッダ」(nom.)→「ブッダが」
dhammaṃ: dhammaṃ→「ダンマを」
desesi: deseti 「示す・教示する」(aor.)→「教示した」
cakkhumā;: cakkhu 「眼」+ mā(mantのnom.)→「有眼者は」
dhamme: dhamma →
desiyamānamhi: desiyamāna (desiyati (desatiの受動態?)「示される・教示される」+ ppr.の語尾 māna)+ amhi(atthi: 1sg.)→
sotamodhesimatthiko;: sotaṃ(sota (acc.))「耳を」+ odhesi (odahati: aor.)「傾けた」+ (m) atthiko「希求する」→
taṃ: taṃ→「それは」
me: ahaṃ(dat.)→「私にとって」
amoghaṃ: amogha 「不空の」(a.)→
savanaṃ: savanaṃ→
vimuttomhi: vimutta (nom.)「解脱した」+ amhi( atthi「〜である」1sg.) →
anāsavo: anāsava 「漏のない、無漏の」(nom.)→

日本語訳

別の者に、世尊ブッダが

有眼者が法を説き給う

法が説かれつつある時に

求めて耳を傾ける

それは私の虚ろでない傾聴であり

私は解脱、無漏となりました


22x22(2649bytes)上記の長老偈の日本語訳については著作権は放棄します。御自由にお使い下さい(編集・改変・ソフトウェアに組込むなど)。ただし日本語訳についての質・内容は保証しませんし、この訳をご利用になる上で生じるいかなる不都合に対して、上の日本語訳の作者は責任を負いません。

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サーリプッタ尊者の生涯 (4)

[サーリプッタ尊者][Access To Insight]

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サーリプッタ尊者の生涯 (3)

[サーリプッタ尊者][Access To Insight]

Access to Insight Library にあるNyanaponika Thera による"The Life of Sariputta"を訳してみたものです。

目次
  • 序文
  • 第I部:誕生から阿羅漢になるまで
  • 第II部:智慧の完成
    • 友情
    • 他の人を助ける者
    • (解脱の)獲得
    • 法輪を転ずる者
    • サーリプッタ尊者の親類
    • 害意のない者
  • 第III部:彼岸
    • チュンダ経(Cunda Sutta)
    • ウッカチェーラ経(Ukkacela Sutta)
  • 第IV部:サーリプッタ尊者に関連する経典
  • 第V部:ジャータカにおけるサーリプッタ尊者
  • 付録:サーリプッタ尊者とマハーモッガラーナ尊者の遺骨についての覚書
  • 注釈

第II部:智慧の完成

友情

もしもサーリプッタ尊者が感謝の念をずっと持ち続けることが注目に値するというのであれば、尊者の友人としての面も勝るとも劣りません。マハー・モッガラーナ尊者とは、幼少のころから友人・相方であり、ずっと親密な関係でいて、そしてダンマについて数多くの会話を交わされました。なかでもとりわけ興味深いのは、サーリプッタ尊者の解脱の過程に光をあてたアングッタラニカーヤCatukka-nipata, No. 167にあります。この経典は、ある時マハー・モッガラーナ尊者がサーリプッタ尊者に会い行かれ、こう話しかけれられたと伝えています:

「友、サーリプッタよ、四つの(解脱への)道程があります:

苦行道・遅通達、
苦行道・速通達、
楽行道・遅通達、
楽行道・速通達

「友よ、この四つの行道のうちのどれで、友よ、執着なく漏から心が自由になったのでしょうか」これにサーリプッタ尊者がお答えになりました:「これらの四つの行道のうち、友よ、楽行道・速通達によってです」

この一節の説明は、もし禅定や智慧の前に、心の汚れを無くすことが、困難なく生じるとき、その歩みを楽行道(sukha-paṭipadā)と呼び、その逆は苦行道(dukkha-paṭipadā)と呼びます。心の汚れを無くした後に、智慧のゴール、道の到達が、もしも素早くなされるならば、その通達は「速」と呼ばれます(khippabhiññā)。その逆は「遅」と呼ばれます(dandhābhiññā)。この経典でのサーリプッタ尊者が言及しているのは、尊者が阿羅漢果を得た時のことです。尊者の最初の三つの道果を得る時については、しかしながら上記経典の注釈によれば、「楽行道、遅通達」です。

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サーリプッタ尊者の生涯 (2)

[サーリプッタ尊者][Access To Insight]

Access to Insight Library にあるNyanaponika Thera による"The Life of Sariputta"を訳してみたものです。


目次
  • 序文
  • 第I部:誕生から阿羅漢になるまで
  • 第II部:智慧の完成
    • 友情
    • 他の人を助ける者
    • (解脱の)獲得
    • 法輪を転ずる者
    • サーリプッタ尊者の親類
    • 害意のない者
  • 第III部:彼岸
    • 最後にお返しされた借り
    • チュンダ経(Cunda Sutta)
    • ウッカチェーラ経(Ukkacela Sutta)
  • 第IV部:サーリプッタ尊者に関連する経典
  • 第V部:ジャータカにおけるサーリプッタ尊者
  • 付録:サーリプッタ尊者とマハーモッガラーナ尊者の遺骨についての覚書
  • 注釈

第I部:誕生から阿羅漢になるまで

物語は、インドの二つのバラモンの村で始まります。そこは、ウパティッサとコーリタと呼ばれ、都市ラージャガハから遠くないところにあります。私達の知っているブッダがこの世に現れる前に、ウパティッサ村に住む1サーリという名のバラモン人の婦人が、懐妊しました。そしてまた、コーリタ村でも同じ日に、モッガッリという名のバラモン人の婦人も懐妊しました。この二つの家族は、近い血縁関係にあり、七世代に渡ってとても仲良くしてきました。この二つの家族は、妊娠の最初の日から、この将来の母親達に与えるべき面倒を与え、十ヶ月後の同じ日に、両方の婦人は男の子を生みました。命名の日に、バラモンの婦人サーリの子は、その村の一番の家の息子として、ウパティッサと名付けられました。同じ理由で、婦人モッガッリの子はコーリタと名付けられました。

少年達が大きくなると、教育を受け、全ての科学に精通するようになりました。それぞれが五百人のバラモンの若者の従者を持っていました。スポーツやレクリエーションに河や公園に行く時は、ウパティッサは五百の籠に、コーリタは五百台の車に乗って行ったものでした。

さてラージャガハでは、丘の上の祭りと呼ばれるイベントが毎年開催されていました。二人の若者のために席が用意され、彼らは一緒に座り祝賀に参加しました。笑いに相応しい時には笑い、見世物が興奮に相応しい時には興奮しました。そして、追加のショーのご祝儀を渡しました。こうして、二人は、祭りの二日目を楽しんでいました。けれども三日目には、二人の分別が目を覚まし、もはや笑ったり興奮したりしませんでした。初日にしたように、追加のショーのご祝儀を渡したいとも思いませんでした。二人は同じことを考えていたのです:「ここで何を見るべきものがあるのでしょうか。百年もしないうちに、ここにいる人々は皆死にます。私達がするべきことは、救いの教えを探し求めることです」と。

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サーリプッタ尊者の生涯 (1)

[サーリプッタ尊者][Access To Insight]

Access to Insight Library にあるNyanaponika Thera による"The Life of Sariputta"を訳してみたものです。

Nyanaponika Theraについては Access to Insightにある紹介文に次のようにあります:。

ニャーナポーニカ長老(ジークムント・フェニガー)は1936年に生まれたドイツからスリランカに移り、ニャンナティローカ長老(1878-1957)の元で比丘として出家されました。1958年にはBuddhist Publication Societyの設立に尽力され、1984年まで編集長を、また1988年に引退されるまで会長を努められました。長老は57回目の雨安居の最後の日に、キャンディ郊外ウダワッタキャレー保安林(the Udawattakele Reserve)内のフォレスト・エルミタージュ(the Forest Hermitage)で穏やかに息を引きとられました。人々に賞賛されている長老の著作としては"The Heart of Buddhist Meditation"、"The Vision of Dhamma"、"Abhidhamma Studies"、(Bhikkhu Bodhiと共著で)"Numerical Discourses of the Buddha"があります[出典: Introduction to "The Vision of the Dhamma"(Kandy: Buddhist Publication Society, 1992)、"For the Welfare of Many" by Bhikkhu Bodhi.]。


目次
  • 序文
  • 第I部:誕生から阿羅漢になるまで
  • 第II部:智慧の完成
    • 友情
    • 他の人を助ける者
    • (解脱の)獲得
    • 法輪を転ずる者
    • サーリプッタ尊者の親類
    • 害意のない者
  • 第III部:彼岸
    • 最後にお返しされた借り
    • チュンダ経(Cunda Sutta)
    • ウッカチェーラ経(Ukkacela Sutta)
  • 第IV部:サーリプッタ尊者に関連する経典
  • 第V部:ジャータカにおけるサーリプッタ尊者
  • 付録:サーリプッタ尊者とマハーモッガラーナ尊者の遺骨についての覚書
  • 注釈

序文

スリランカの多くのお寺では、ブッダの像の両側に二人のお坊様の像があるのをよく見ます。片方の肩に衣をかけ、掌を合わせ敬礼の姿勢でお立ちになっています。その足元には、敬虔な信者達によって足元に花が置かれている時がしばしばあります。

そのお二人がどなたであるかと誰かに尋ねるなら、世尊の二人の筆頭のお弟子である、阿羅漢サーリプッタ尊者とマハーモッガラーナ尊者と教わることでしょう。お二人は、その生涯でそれぞれがお務めになったポジションにお立ちになっています。サーリプッタ尊者はブッダの右側に、マハーモッガラーナ尊者は左側です。19世紀の中頃にSanchiの大ストューパが開けられた時、遺骨室に二つの石の容器があるのが発見されました;北側の容器にはマハーモッガラナーナ尊者の身体の遺骨が納められ、一方南側の容器にはサーリプッタ尊者の身体の遺骨が納められていました。何世紀も過ぎ去り、2000 年以上の歴史が人間の人生の無常のドラマを長々と演じる間、これらはこうして安置されていたのです。ローマ帝国が勃興して滅亡し、古代ギリシアの栄光は遠い記憶になりました;変わりゆく地球の表面に、しばしば血と火によって、新しい宗教が名を記し、しかしそれらは結局、テーベとバビロンの伝説と混ざり合うのみで、そして交易の波は徐々に文明の大きな中心を東から西へ移していきました —一方でブッダの教えを全く聞いたことがない世代が生まれ消えていきました。けれども、このような時代の間をずっと、この聖人達の遺骨の灰は、その聖人達が生まれた地で乱されることなく安置され、忘れられてきました。ブッダのメッセージが広まる時はいつでも、お二人についての記憶は大切にされ、その生涯の記録は世代から世代へ受け継がれてきました。それは最初は口伝でなされ、後に仏教徒の三蔵—あらゆる宗教のなかで最も量が多く詳細な聖典—に書かれました。テーラワーダ仏教の地においては、世尊自身の次に、仏教徒の最も高い尊敬を受けているのが、この二人のお弟子なのです。このお二人の名前は、ブッダ自身と同じくらい、仏教の記録とは切り離せないものです。時が経つにつれて、お二人の生涯の伝承に多くの伝説が折り込まれていても、これは、お二人への常日頃の尊敬による自然な成行きです。

しかも、高い尊敬は証明済みです。ブッダほど、直接の弟子達によく仕えられた宗教の師はほとんどいません。そのお弟子達の中でも最も偉大な二人のうちの一人、サーリプッタ尊者の物語である以下のページを読んでいくと、このことが分かるでしょう。サーリプッタ尊者は、解脱の教理の理解の深さと幅、そして教える能力において、ブッダに次いで二番目の方なのです。サーリプッタ尊者の生涯に関連する説明は、三蔵にはありませんが、聖典のテキスト・注釈書に散らばっている様々な尊者が現れる出来事をつなぎ合わせることは出来ます。その中では、単なる出来事以上のものがあります。というのも、尊者の生涯がブッダの生涯と活動に密接に編み込まれ、きわめて重要な役割を果たされたからです。サーリプッタ尊者自身が指導的な役割を担った時も数々あります—有能な指導者、模範として、思いやりのある、思慮深い友人として、尊者の下に預けられた比丘達の暮しの保護者として、師の教理の敬虔なる宝庫として、Dhamma-senāpati 「法の将軍」の称号を尊者に授けた役割、そして尊者自身については、稀有な忍耐、不動さ、謙虚で公正な思考、言葉、行いのお方、ご自分が受けた一つの親切でさえも生涯を通じて感謝の念で思い出すべきことであったお方として。感情と無知の汚れから自由になった阿羅漢の中でも、尊者は、星が散らばる夜空の満月のよう輝いておられます。

続くページは、深い知性と清らかな性格を持つ、偉大なる師の真の弟子である方の物語を、著者の能力の限りに書き記したものです。この不完全な記録から、完全なるお方、完全に解放され、存在の最も高いレベルまで逹したお方の本質の何か、そういう方が周囲の人々にどのように行動し、話し、振る舞うのかについて、もし読者が得ることが出来るならば、そして、読むことで「このような人にまでなることが出来る」という確信の強さと信を持つこと出来るのであれば、この仕事は価値があることになり、完全に報われることになります。


出典は

The Wheel Publication No. 90/92 (Kandy: Buddhist Publication Society, 1987). Transcribed from the print edition in 1994 by W.D. Savage under the auspices of the DharmaNet Dharma Book Transcription Project, with the kind permission of the Buddhist Publication Society. HTML formatting by Jill H. Button.

ライセンスは以下のオリジナルに準じます:

Copyright © 1987 Buddhist Publication Society Access to Insight edition © 1994.

For free distribution. This work may be republished, reformatted, reprinted, and redistributed in any medium. It is the author's wish, however, that any such republication and redistribution be made available to the public on a free and unrestricted basis and that translations and other derivative works be clearly marked as such.

(日本語訳)無料で配布します。この作品はどんな媒体を通じても再発行・再版・リプリント・再配布して構いません。けれども、著者の望みは、無料で制限のないベースで公に利用できるようにそういった再発行や再配布がされて、翻訳や他の派生物はその旨を明記することです。


もし意味が通らない文があるならば、それは訳の拙いのが問題です。御指摘あれば幸いです。

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初出: Wed April 08 2009 22:07 (+0900)

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