最新 hohiのPali語学習・作業記録

最終更新時間: 2015-06-29 12:47

アングッタラ・ニカーヤ 3-131

[アングッタラ・ニカーヤ]

3.3.8 Dutiyānuruddhasutta

目次

パーリ語(01)

Dutiyānuruddhasutta
dutiyānuruddhasutta:dutiya 「第二」+ anuruddha + sutta →

第二(の)アヌルッダ経

1001
Atha kho āyasmā anuruddho yenāyasmā sāriputto tenupasaṅkami; upasaṅkamitvāāyasmatā sāriputtena saddhiṃ sammodi. Sammodanīyaṃ kathaṃ sāraṇīyaṃ vītisāretvā ekamantaṃ nisīdi. Ekamantaṃ nisinno kho āyasmā anuruddho āyasmantaṃ sāriputtaṃ etadavoca—“idhāhaṃ,āvuso sāriputta, dibbena cakkhunā visuddhena atikkantamānusakena sahassaṃ lokaṃ olokemi.Āraddhaṃ kho pana me vīriyaṃ asallīnaṃ, upaṭṭhitā sati asammuṭṭhā, passaddho kāyo asāraddho, samāhitaṃ cittaṃ ekaggaṃ. Atha ca pana me nānupādāya āsavehi cittaṃ vimuccatī”ti.

Atha kho āyasmā anuruddho yenāyasmā sāriputto tenupasaṅkami; upasaṅkamitvāāyasmatā sāriputtena saddhiṃ sammodi
atha: ind. then; and also.→
kho: ind. indeed; really; surely;(an enclicticparticle of affirmative and emphasis).→
āyasmā:āyasmant 「尊者」(nom.)→
anuruddho:anuruddha 「アヌルッダ(尊者)」(nom.)→「アヌルッダ尊者は」
yenāyasmā:yena (+… tena 「〜のところに」+ āyasmā→
sāriputto:sāriputto →
tenupasaṅkami;:tena + upasaṅkamati (aor.)→「近付いた」
upasaṅkamitvā: abs. of upasaṅkamati having approached; drawing near.→「近付いて」
āyasmatā:āyasmat (instr.)→「(尊者によって)」
sāriputtena:sāriputta 「サーリプッタ尊者」(instr.)→「サーリプッタ尊者によって」
saddhiṃ: ind. with; together.→「共に」
sammodi: aor. of sammodati rejoiced; delighted; exchanged friendlygreetings.→「喜んだ、挨拶をした」

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アングッタラ・ニカーヤ 3-131

[アングッタラ・ニカーヤ]

3.3.8 Dutiyānuruddhasutta

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日本語訳

さて、アヌルッダ尊者は、サーリプッタ尊者のところにお近付きなりました;近付いて、サーリプッタ尊者と共に挨拶をなさいました。喜ばしく記憶に残る会話をお交わしになって、片側にお座りになられました。片側にお座りになったアヌルッダ尊者は、実に、サーリプッタ尊者にこのように言われました;「友サーリプッタよ、ここに私は、清浄で常人を超えた天眼によって、世間を千倍眺めます。また実に、私の励んでいる精進は揺ぎないものです、ぴったりと確立した気づきは保ち続いています、身体の落ち着きは冷静です、定を得た心は一点にあります。実にまた、私は漏において執着が無くなっておらず心が解脱していません」と。

「友アヌルッダよ、実に、あなたのこのような(このようにある)ところもの、『私は清浄で常人を超えた天眼によって、世間を千倍観察します』とは、これはあなたの慢においてです。友アヌルッダよ、またあなたのこのようなところもの、『また実に、私の励んでいる精進は揺ぎないものです、ぴったりと確立した気づきは保ち続いています、身体の落ち着きは冷静です、定を得た心は一点にあります』とは、これはあなたの掉挙においてです。友アヌルッダよ、またあなたのこのようなところもの、『実にまた、私は漏において執着が無くなっておらず心が解脱していません』とは、これはあなたの後悔においてです。実にアヌルッダ尊者がこれら三つの性質を捨てて、これら三つの性質にとらわれないで、涅槃の要素に心を集中するならば良いことです」と。

実にアヌルッダ尊者は(その)後の時に、これら三つの性質を捨てて、これら三つの性質にとらわれないで、涅槃の要素に心を集中なさいました。アヌルッダ尊者は独り離れて不放逸に努め熱心に自ら励んで住している時、久しからず、—良家の男子が完全に家を捨て出家し、その最高の目的のための—梵行の完成を自ら証智して、自ら経験して、到達して住されました。「生は尽きました、梵行は完成しました、なすべきことはなされました、この後にこの(輪廻)の状態になることはありません」と完全にお知りになりました。そして、アヌルッダ尊者もまた阿羅漢の一人になられました、と。


22x22(2649bytes)上記の日本語訳については著作権は放棄します。御自由にお使い下さい(編集・改変・ソフトウェアに組込むなど)。ただし日本語訳についての質・内容は保証しませんし、この訳をご利用になる上で生じるいかなる不都合に対して、上の日本語訳の作者は責任を負いません。

訳が拙い・不適切なところがあるかも知れません。御指摘あれば幸いです。

初出:


パーリ語はe-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)のパーリ経典を元にしています。

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アングッタラ・ニカーヤ 4.2.8 (4-168) Sāriputtasutta

[アングッタラ・ニカーヤ]

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(4-168) 4.2.8 Sāriputtasutta

パーリ語

990

Atha kho āyasmā mahāmoggallāno yenāyasmā sāriputto tenupasaṅkami; upasaṅkamitvāāyasmatā sāriputtena saddhiṃ sammodi. Sammodanīyaṃ kathaṃ sāraṇīyaṃ vītisāretvā ekamantaṃ nisīdi. Ekamantaṃ nisinno khoāyasmā mahāmoggallāno āyasmantaṃ sāriputtaṃ etadavoca—

atha kho:「そこで、時に」
āyasmā:āyasmant (nom.)→「尊者(は)」
mahāmoggallāno:mahāmoggallāno →「マハー・モッガラーナ尊者は」
yenāyasmā:yena +(a)?(... tena)「...のところに」(「...」は主格を取る。この場合は"sāriputto")+ yasmā(yaのabl.)→
sāriputto:sāriputto →「サーリプッタ尊者が」
tenupasaṅkami;:ten(a)+ upasaṅkami (upasaṃkatimiのaor. sg. 3rd )→「近付いた」
upasaṅkamitvā:upasaṅkamati「近付く」(ger.)→「近付いて」
āyasmatā:āyasmant (instr.)→「尊者(によって)」
sāriputtena:sāriputta (instr.)→「サーリプッタ(尊者)と共に」
saddhiṃ:「共に・一緒に」
sammodi:sammodati 「喜ぶ・挨拶する」(aor. sg. 3rd.)→「挨拶した」
sammodanīyaṃ:sammodanīya(sammodati (grd.))→「喜ぶべき」
kathaṃ:kathā「話」(f. acc.)→「話を」
sāraṇīyaṃ:sāraṇīya (sāreti (saretiのcaus.「記憶させる」)のgrd.「記憶させられるべき」) (acc.)→
vītisāretvā:vītisāreti「交わす」(ger.)→「交わして」
ekamantaṃ:eka+(m)anta「端」(acc.)→「一方に」
nisīdi:nisīdati (aro. sg. 3rd)→「座った」
nisinno:nisīdati (pp)→「座りたる」
āyasmantaṃ:āyasmant (acc.)→
sāriputtaṃ:sāriputta (acc.)→「サーリプッタ(尊者)に」
etadavoca:etad+ avoca (vacatiのaor.)→「こう言われた」

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アングッタラ・ニカーヤ 1-2

[アングッタラ・ニカーヤ]

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1-2

パーリ語

‘‘Nāhaṃ, bhikkhave, aññaṃ ekasaddampi samanupassāmi yaṃ evaṃ purisassa cittaṃ pariyādāya tiṭṭhati yathayidaṃ, bhikkhave, itthisaddo. Itthisaddo, bhikkhave, purisassa cittaṃ pariyādāya tiṭṭhatī” ti.

nāhaṃ,: na 「〜でない」+ ahaṃ「私は」
bhikkhave,:呼格「比丘達よ」
aññaṃ:「異なる」(目的格)
ekarūpampi: eka 「一つ」+ rūpam (rupaの目的格)「色・形」+ pi「〜も」
samanupassāmi: samanupassati (saṃ「共に、正しく、集まる、同じ」+ anu「随いて、次に、順じて」+ √pas 「見る(III)」)「見る・認める」の単数・一人称
yaṃ:関係代名詞・目的格「〜であることを」
evaṃ:このように
purisassa: purisa「男」属格「男の」
cittaṃ:目的格「心を」
pariyādāya: pariyādātiのジェランド「占拠して」
tiṭṭhati:立つ、止まる
yathayidaṃ,: yathā「〜のように」+ (y)+ idaṃ「これ」
itthisaddo.:itthī「女」+ sadda 「声」→「女性の声」
Dutiyaṃ.第二に


日本語訳

「私は、女性の声ほど、男性の心を占有して留めておくものが他にあることを認めません。

女性の声は、男性の心を占有して留めておくものなのです」と。

参考

Book of Ones


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アングッタラ・ニカーヤ 1-1

[アングッタラ・ニカーヤ]

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1-1

パーリ語

Evaṃ me sutaṃ– ekaṃ samayaṃ bhagavā sāvatthiyaṃ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme. Tatra kho bhagavā bhikkhūāmantesi –‘‘bhikkhavo’’ti.‘‘Bhadante’’ti te bhikkhū bhagavato paccassosuṃ. Bhagavā etadavoca–

evaṃ:このように
me:ahaṃの具格「私によって」
sutaṃ: suの過去分詞「聞かれた」
ekaṃ:eka 「ある」の目的格
samayaṃ: samaya「時」の目的格(時間等の目的格は不変語的)→ ekaṃ samayaṃ「ある時」
bhagavā: bhagavantの主格「世尊は」
sāvatthiyaṃ: sāvatthīサーワッティ(舎衛城:コーサラ国の首都)の処格「サーワッティにおいて」
viharati:「住む」(歴史的現在)→「住んでおられた」
jetavane: Jetavana「祇園」の処格「祇園において」
anāthapiṇḍikassa: anāthapiṇḍika の属格「アナータピンディカ(居士)の」
ārāme:ārāmeの処格「僧園において」
tatra:そのとき
kho:
bhikkhū: bhikkhu の複数・目的格「比丘達に」
āmantesi:āmantetiのアオリスト(単数・三人称)「話しかけた」
‘‘bhikkhavo’’ti.:呼格「比丘達よ」と
‘‘Bhadante’’ti:「世尊よ」と
te: soの複数・主格「彼らは」
bhikkhū:主格「比丘達は」
bhagavato: bagavantの与格「世尊に」
paccassosuṃ.: paṭissuṇāti「答える」のアオリスト「答えた」
etadavoca: etad 「このように」+ avoca (vacのアオリスト)「言われた」

‘‘Nāhaṃ, bhikkhave, aññaṃ ekarūpampi samanupassāmi yaṃ evaṃ purisassa cittaṃ pariyādāya tiṭṭhati yathayidaṃ, bhikkhave, itthirūpaṃ. Itthirūpaṃ, bhikkhave, purisassa cittaṃ pariyādāya tiṭṭhatī’’ti. Paṭhamaṃ.

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アングッタラ・ニカーヤ 3-108

[アングッタラ・ニカーヤ]

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3-108

パーリ語

‘‘Ruṇṇamidaṃ, bhikkhave, ariyassa vinaye yadidaṃ gītaṃ. Ummattakamidaṃ, bhikkhave, ariyassa vinaye yadidaṃ naccaṃ. Komārakamidaṃ, bhikkhave, ariyassa vinaye yadidaṃ ativelaṃ dantavidaṃsakahasitaṃ. Tasmātiha, bhikkhave, setughāto gīte, setughāto nacce, alaṃ vo dhammappamoditānaṃ sataṃ sitaṃ sitamattāyā’’ti.

ruṇṇamidaṃ: ruṇṇam 「泣いている」+ idaṃ
bhikkhave:呼格「比丘達よ」
ariyassa:「聖なる」(属格)
vinaye: vanayaの処格「律・教えにおいて」
yadidaṃ: yadi 「もし」+ idaṃ
gītaṃ.: gīta (n.n)の主格「歌は」
ummattakamidaṃ: ummattakam 「狂っている」+ idaṃ
naccaṃ.: nacca(n.n.)の主格「踊りは」
komārakamidaṃ: komārakam 「幼い」+ idaṃ
ativelaṃ: ativela 「過度に」
dantavidaṃsakahasitaṃ: danta 「歯」+ vidaṃsaka 「見せた」+ hasitaṃ(hasita(n.n.)の主格)「笑いは」
Tasmātiha,:
setughāto:setu 「橋」+ ghāta (主格)「破壊は」(悪習の打破)
gīte,:
nacce,:
alaṃ:十分に、満足して
vo:実に
dhammappamoditānaṃ: dhamma 「真理(を知る)」+ (p)pamoditānaṃ(与格)「喜び」
sataṃ:気づきのある(?)
sitaṃ:微笑み
sitamattāyā: sita + mattāyā「わずかに」


日本語訳

比丘達よ、聖なる教えにおいては歌は泣いているようなものです。踊りは狂っているようなものです。歯を見せて笑いすぎるのは幼いようなものです。

比丘達よ、笑いの橋を壊しましょう。踊りの橋を壊しましょう。真理を知る喜びによる、気づきのある微笑みでかすかに微笑むだけで十分です。

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アングッタラ・ニカーヤ 1-28

[アングッタラ・ニカーヤ]

1-28

パーリ語

Nāhaṃ bhikkhave aññaṃ ekadhammampi samanupassāmi, yena anuppannaṃ vā thīnamiddhaṃ nuppajjati, uppannaṃ vā thīnamiddhaṃ pahīyati, yathayidaṃ bhikkhave ārambhadhātu nikkamadhātu parakkamadhātu. Āraddhaviriyassa bhikkhave anuppannañceva thīnamiddhaṃ nuppajjati, uppannañca thīnamiddhaṃ pahīyatīti.

/〜ではない 私は(na + ahaṃ/比丘達よ/異なる/一つのことも/認める(見る)、/〜であるところ の/未生起の/〜かまたは/昏沈は/生起しない(na + uppajjati)、/生起する/〜かまたは/昏沈は/捨て られる/〜以外の/比丘達よ/発心する要素/やり遂げる要素/あきらめない要素(f)。/発心する精進(勤 精進)で(与格)/比丘達よ/生起していない/昏沈は/生起しない/生起する/昏沈は/捨てられる/と



日本語訳

私は、比丘達よ、この一つの異説も認めません。生起していない昏沈が生起せず、また、生起した昏 沈が消えることが、開始する要素・やり遂げる要素・あきらめない要素以外によってあることをです。 開始する精進(勤精進)によって、比丘達よ、生起していない昏沈は生起せず、生起した昏沈は消され るのです。


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訳が拙い・不適切なところがある思います。御指摘あれば幸いです。

初出: Sun October 07 2007 17:06 (+0900)

修正: Tue October 09 2007 22:00 (+0900)


Dhammapadaのパーリ語は Journal of Buddhist Ethic の ユニコード版のパーリ経典を元にしています。

パーリ語の表記に不具合がある場合は、 こちらのページ を試してみて下さい。

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