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[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

2010-06-04

目次


日本語訳

1071友よ、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないとそれゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します) —「実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。友よ、あたかも嫁が舅(しゅうと)を見て、はっとして畏れを抱くようなものです;友よ、このように実に、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと、それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します)—「実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。実に、友よ、ここまでで、比丘によって多くのことがなされています。

パーリ語

(18/21)

1071 Tassa ce, āvuso, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā na saṇṭhāti. So tena saṃvijjati saṃvegaṃ āpajjati—‘alābhā vata me, na vata me lābhā; dulladdhaṃ vata me, na vata me suladdhaṃ. Yassa me evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā na saṇṭhātī’ti. Seyyathāpi, āvuso, suṇisā sasuraṃ disvā saṃvijjati saṃvegaṃ āpajjati; evameva kho, āvuso, tassa ce bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhā kusalanissitā na saṇṭhāti. So tena saṃvijjati saṃvegaṃ āpajjati—‘alābhā vata me, na vata me lābhā; dulladdhaṃ vata me, na vata me suladdhaṃ. Yassa me evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhā kusalanissitā na saṇṭhātī’ti. Tassa ce, āvuso, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhā kusalanissitā saṇṭhāti, so tena attamano hoti. Ettāvatāpi kho, āvuso, bhikkhuno bahukataṃ hoti.

Tassa ce, āvuso, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā na saṇṭhāti

友よ、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと

So tena saṃvijjati saṃvegaṃ āpajjati—‘alābhāvata me, na vata me lābhā; dulladdhaṃ vata me, na vata me suladdhaṃYassa me evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, saṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā nasaṇṭhātī’ti

それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します) —「実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。

Seyyathāpi, āvuso, suṇisā sasuraṃ disvā saṃvijjatisaṃvegaṃ āpajjati; evameva kho, āvuso, tassa ce bhikkhuno evaṃbuddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃsaṃghaṃ anussarato, upekkhā kusalanissitā nasaṇṭhāti So tena saṃvijjati saṃvegaṃāpajjati— ‘alābhā vata me, na vata me lābhā;dulladdhaṃ vata me, na vata me suladdhaṃ Yassa me evaṃ buddhaṃanussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃanussarato, upekkhā kusalanissitā na saṇṭhātī’ti

友よ、あたかも嫁が舅(しゅうと)を見て、はっとして畏れを抱くようなものです;友よ、このように実に、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと、それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します)—「実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。

Tassa ce, āvuso, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃdhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhākusalanissitā saṇṭhāti, so tena attamano hoti

もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。

Ettāvatāpi kho, āvuso, bhikkhuno bahukataṃ hoti

実に、友よ、ここまでで、比丘によって多くのことがなされています。


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初出: Fri June 04 2010 22:50 (+0900)


パーリ語はe-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)のパーリ経典を元にしています