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[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

2009-12-17

目次


日本語訳

1064友よ、外側の水の要素が怒る時があります。それは、村をも運びます、町をも運びます、城をも運びます、地方をも運びます、国土をも運びます。友よ、大海において水が、100ヨージョナ沈む時があります、200ヨージョナ沈む時があります、300ヨージョナ沈む時があります、400ヨージョナ沈む時があります、500ヨージョナ沈む時があります、600ヨージョナ沈む時があります、700ヨージョナ沈む時があります。友よ、大海において、水が、多羅の樹7つ分の高さになる時があります、多羅の樹6つ分の高さになる時があります、多羅の樹5つ分の高さになる時があります、多羅の樹4つ分の高さになる時があります、多羅の樹 3つ分の高さになる時があります、多羅の樹2つ分の高さになる時があります、多羅の樹1つ分のみの高さになる時があります。友よ、大海において、水が、人の身長7つ分の高さになる時があります、人の身長6つ分の高さになる時があります、人の身長5つ分の高さになる時があります、人の身長4つ分の高さになる時があります、人の身長3つ分の高さになる時があります、人の身長2つ分の高さになる時があります、人の身長1つ分のみの高さになる時があります。友よ、大海において、水が、人の身長の半分の高さになる時があります、腰の高さになる時があります、膝の高さになる時があります、踝の高さだけになる時があります。友よ、大海において、水が、指の関節を濡らすだけもない時があります。友よ、実に、その外の水の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。…中略 …もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。実に、友よ、ここまでで、比丘によって多くのことがなされています。

パーリ語

(11/21)

1064 Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ bāhirā āpodhātu pakuppati. Sā gāmampi vahati, nigamampi vahati, nagarampi vahati, janapadampi vahati, janapadapadesampi vahati. Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ mahāsamudde yojanasatikānipi udakāni ogacchanti, dviyojanasatikānipi udakāni ogacchanti, tiyojanasatikānipi udakāni ogacchanti, catuyojanasatikānipi udakāni ogacchanti, pañcayojanasatikānipi udakāni ogacchanti, chayojanasatikānipi udakāni ogacchanti, sattayojanasatikānipi udakāni ogacchanti. Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ mahāsamudde sattatālampi udakaṃ saṇṭhāti, chattālampi udakaṃ saṇṭhāti, pañcatālampi udakaṃ saṇṭhāti, catuttālampi udakaṃ saṇṭhāti, titālampi udakaṃ saṇṭhāti, dvitālampi udakaṃ saṇṭhāti, tālamattampi udakaṃ saṇṭhāti. Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ mahāsamudde sattaporisampi udakaṃ saṇṭhāti, chapporisampi udakaṃ saṇṭhāti, pañcaporisampi udakaṃ saṇṭhāti, catupporisampi udakaṃ saṇṭhāti, tiporisampi udakaṃ saṇṭhāti, dviporisampi udakaṃ saṇṭhāti, porisamattampi udakaṃ saṇṭhāti. Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ mahāsamudde aḍḍhaporisampi udakaṃ saṇṭhāti, kaṭimattampi udakaṃ saṇṭhāti, jāṇukamattampi udakaṃ saṇṭhāti, gopphakamattampi udakaṃ saṇṭhāti. Hoti kho so, āvuso, samayo, yaṃ mahāsamudde aṅgulipabbatemanamattampi udakaṃ na hoti. Tassā hi nāma, āvuso, bāhirāyaāpodhātuyā tāva mahallikāya aniccatā paññāyissati, khayadhammatā paññāyissati, vayadhammatā paññāyissati, vipariṇāmadhammatā paññāyissati. Kiṃ panimassa mattaṭṭhakassa kāyassa taṇhupādinnassa‘ahanti vā mamanti vā asmī’ti vā? Atha khvāssa notevettha hoti…pe…tassa ce, āvuso, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā saṇṭhāti. So tena attamano hoti. Ettāvatāpi kho, āvuso, bhikkhuno bahukataṃ hoti.

Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ bāhirā āpodhātu pakuppati

友よ、外側の水の要素が怒る時があります。

Sā gāmampi vahati, nigamampi vahati, nagarampi vahati, janapadampi vahati, janapadapadesampi vahati

gāmampi:gāmaṃ(gāma 「村」 m. sg. acc.)+ pi →「村をも」
vahati: vah + a bears; carries; does one's work; flows.「運ぶ、実行する」→
nigamampi:nigamaṃ(nigama 「町」 m. sg. acc.)+pi →「町をも」
nagarampi:nagaraṃ(nagara 「城」n. sg. acc.)+ pi →「城をも」
janapadampi:janapadaṃ(janapada 「地方・国・田舎」 m. sg. acc.)+ pi →「地方をも」
janapadapadesampi:janapadapadesaṃ(janapada + pasesa 「地方・国土・場所」 m. sg. acc.)+ pi →「国土をも」

それは、村をも運びます、町をも運びます、城をも運びます、地方をも運びます、国土をも運びます。

Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ mahāsamudde yojanasatikānipi udakāni ogacchanti, dviyojanasatikānipi udakāni ogacchanti, tiyojanasatikānipi udakāni ogacchanti, catuyojanasatikānipi udakāni ogacchanti, pañcayojanasatikānipi udakāni ogacchanti, chayojanasatikānipi udakāni ogacchanti, sattayojanasatikānipi udakāni ogacchanti

mahāsamudde:mahāsamudda 「大海・大洋」(m. sg. loc.) →「大海において」
yojanasatikānipi:yojana「ヨージャナ・由旬」+satika 「百の」(m. pl.acc.距離のacc.)+ pi →「100ヨージョナ(の深さ)」
udakāni:udaka 「水」(n. pl. nom.) →「水が」
ogacchanti:ogacchati 「沈む・没する」(pl. 3rd.) →
dviyojanasatikānipi:dvi「二」+ yojanasatikānipi →
tiyojanasatikānipi:ti「三」+ yojanasatikānipi →
catuyojanasatikānipi:catu 「四」+ yojanasatikānipi →
pañcayojanasatikānipi:pañca 「五」+ yojanasatikānipi →
chayojanasatikānipi:cha 「六」+ yojanasatikānipi →
sattayojanasatikānipi:satta 「七」+ yojanasatikānipi →

友よ、大海において水が、100ヨージョナ沈む時があります、200ヨージョナ沈む時があります、300ヨージョナ沈む時があります、400 ヨージョナ沈む時があります、500ヨージョナ沈む時があります、600ヨージョナ沈む時があります、700ヨージョナ沈む時があります。

Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ mahāsamudde sattatālampi udakaṃ saṇṭhāti, chattālampi udakaṃ saṇṭhāti, pañcatālampi udakaṃ saṇṭhāti, catuttālampi udakaṃ saṇṭhāti, titālampi udakaṃ saṇṭhāti, dvitālampi udakaṃ saṇṭhāti, tālamattampi udakaṃ saṇṭhāti

sattatālampi:satta 「七」+ tālaṃ(tāla 「多羅の樹」+pi →「多羅の樹が7つ分の」
udakaṃ:udaka 「水」(n. nom.) →「水が」
chattālampi:cha 「六つ」+ (t)tālampi →
pañcatālampi:pañca 「五つ」+ tālampi →
catuttālampi:catu「四つ」+(t)tālampi →
titālampi:ti 「三つ」+ tālampi →
dvitālampi:dvi 「二つ」+ tālampi →
tālamattampi:tāla + mattaṃ「量、〜のみ」+pi →「多羅の樹一つ分のみ」

友よ、大海において、水が、多羅の樹7つ分の高さになる時があります、多羅の樹6つ分の高さになる時があります、多羅の樹5つ分の高さになる時があります、多羅の樹4つ分の高さになる時があります、多羅の樹3つ分の高さになる時があります、多羅の樹2つ分の高さになる時があります、多羅の樹1つ分のみの高さになる時があります。

Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ mahāsamudde sattaporisampi udakaṃ saṇṭhāti, udakaṃ saṇṭhāti, pañcaporisampi udakaṃ saṇṭhāti, udakaṃ saṇṭhāti, tiporisampi udakaṃ saṇṭhāti, udakaṃ saṇṭhāti, porisamattampi udakaṃ saṇṭhāti

sattaporisampi:satta 「七」+ porisaṃ+ pi →
chapporisampi:cha 「六」+ (p)porisaṃ+ pi →
pañcaporisampi:pañca 「五」+ porisaṃ+ pi →
catupporisampi:catu 「四」+(p)porisaṃ+ pi →
tiporisampi:ti「三」+porisaṃ+ pi →
dviporisampi:dvi 「二」+ porisaṃ+ pi →
porisamattampi:porisa 「人の・身長の」+ mattaṃ+ pi →

友よ、大海において、水が、人の身長7つ分の高さになる時があります、人の身長6つ分の高さになる時があります、人の身長5つ分の高さになる時があります、人の身長4つ分の高さになる時があります、人の身長3つ分の高さになる時があります、人の身長2つ分の高さになる時があります、人の身長1つ分のみの高さになる時があります。

Hoti kho so, āvuso, samayo yaṃ mahāsamudde aḍḍhaporisampi udakaṃsaṇṭhāti, kaṭimattampi udakaṃ saṇṭhāti, jāṇukamattampiudakaṃ saṇṭhāti, gopphakamattampi udakaṃ saṇṭhāti

aḍḍhaporisampi:aḍḍha 「半分」+ porisaṃ+ pi →「人の身長の半分だけ」
kaṭimattampi:kaṭi 「腰」+ mattaṃ+pi →「腰の高さだけ」
jāṇukamattampi:jāṇuka 「膝」+ mattaṃ+ pi →「膝の高さにだけ」
gopphakamattampi:gopphaka 「踝(くるぶし)」+ mattaṃ+ pi →「踝の高さだけ」

友よ、大海において、水が、人の身長の半分の高さになる時があります、腰の高さになる時があります、膝の高さになる時があります、踝の高さだけになる時があります。

Hoti kho so, āvuso, samayo, yaṃ mahāsamudde aṅgulipabbatemanamattampi udakaṃ na hoti

aṅgulipabbatemanamattampi:aṅguli 「指」+pabba 「関節」+ temana (temeti「濡らす」; tim + ana?「濡らすこと」)+ mattaṃ+ pi →

友よ、大海において、水が、指の関節を濡らすだけもない時があります。

Tassā hi nāma, āvuso, bāhirāya āpodhātuyā tāva mahallikāya aniccatā paññāyissati, khayadhammatā paññāyissati, vayadhammatā paññāyissati, vipariṇāmadhammatā paññāyissati

友よ、実に、その外の水の要素の、それ程、老大なるものの無常であることが知られることでしょう、滅尽する性質であることが知られることでしょう、衰滅する性質であることが知られることでしょう、変わっていく性質であることが知られるでしょう。

Kiṃ panimassa mattaṭṭhakassa kāyassa taṇhupādinnassa ‘ahanti vā mamanti vā asmī’ti vā? Atha khvāssa notevettha hoti…pe…tassa ce, āvuso, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā saṇṭhāti

hoti…pe…:hoti…pe… →

また、このほんの暫くの間在るだけの身体に渇愛・執着された「私、私のもの、私がいる」とは何でしょうか。実に、そのようなものはありません。…中略 …もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、

So tena attamano hoti

それゆえに彼は、喜んでいます。

Ettāvatāpi kho, āvuso, bhikkhuno bahukataṃ hoti

実に、友よ、ここまでで、比丘によって多くのことがなされています。


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初出: Thu December 17 2009 22:26 (+0900)


パーリ語はe-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)のパーリ経典を元にしています