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[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

2009-12-06

目次


日本語訳

1062友よ、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと、それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します) —「 実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。友よ、あたかも嫁が舅(しゅうと)を見て、はっとして畏れを抱くようなものです;友よ、このように実に、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと、それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します)— 「実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。実に、友よ、ここまでで、その比丘によって多くのことがなされています。

パーリ語

(9/21)

1062 Tassa ce, āvuso, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato evaṃ dhammaṃ anussarato evaṃ saṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā na saṇṭhāti. So tena saṃvijjati saṃvegaṃ āpajjati— ‘alābhā vata me, na vata me lābhā; dulladdhaṃ vata me, na vata me suladdhaṃ, yassa me evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhā kusalanissitā na saṇṭhātī’ti. Seyyathāpi, āvuso, suṇisā sasuraṃ disvā saṃvijjati saṃvegaṃ āpajjati; evameva kho, āvuso, tassa ce bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhā kusalanissitā na saṇṭhāti, so tena saṃvijjati saṃvegaṃāpajjati— ‘alābhā vata me, na vata me lābhā; dulladdhaṃ vata me, na vata me suladdhaṃ, yassa me evaṃ buddhaṃ anussarato evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhā kusalanissitā na saṇṭhātī’ti. Tassa ce, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā saṇṭhāti, so tena attamano hoti. Ettāvatāpi kho, āvuso, bhikkhuno bahukataṃ hoti.

Tassa ce, āvuso, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato evaṃ dhammaṃ anussarato evaṃsaṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā na saṇṭhāti

ce: conditional particle if.→「もし」
bhikkhuno:bhikkhu 「比丘」(dat. gen.) →
buddhaṃ:buddhaṃ →「ブッダを」
anussarato:anussarati 「随念する」(ppr. anussarata dat. gen.) →
dhammaṃ:dhammaṃ →「ダンマを」
saṃghaṃ:saṃghaṃ →「サンガを」
upekkhā: f. neutrality; equanimity; indifference.「ウペッカー・捨」(f. nom.) →「ウペッカー・捨が」
kusalanissitā:kusala 「善」+ nissita 「依る・よるところの」→
saṇṭhāti: saṃ+ ṭhā+ a remains; stands still; to be establish.「立つ・確立する」 →

友よ、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと

So tena saṃvijjati saṃvegaṃ āpajjati— ‘alābhā vata me, na vata me lābhā; dulladdhaṃ vata me, na vata me suladdhaṃ, yassa me evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhā kusalanissitā na saṇṭhātī’ti

saṃvijjati: saṃ+ vid + ya to be found; exists; to be agitated or moved.「驚き怖れる」 →
saṃvegaṃ:saṃvega 「怖れ・宗教心」(m. acc.) →「怖れを」
āpajjati: ā+ pad + ya gets into; undergoes; meets with.「来る・到達する・遭遇する」 →
alābhā:a + lābha (「利益」)「不利益」(m.) →
vata: ind. surely; certainly; indeed; alas.(nt.), areligious duty or observance.→「実に」
lābhā;:lābha 「利益」(m.) →
dulladdhaṃ:dulladdha 「悪く得られた・不利の」(a.) →
suladdhaṃ:suladdha 「善く得られた・利益のある」 →
yassa:ya「〜のところのもの」(n, sg. dat. gen.) →
saṇṭhātī’ti:saṇṭhātī’ti →

それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します) —「 実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。

Seyyathāpi, āvuso, suṇisā sasuraṃ disvā saṃvijjati saṃvegaṃāpajjati; evameva kho, āvuso, tassa ce bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃdhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhā kusalanissitā nasaṇṭhāti, so tena saṃvijjati saṃvegaṃ āpajjati— ‘alābhāvata me, na vata me lābhā; dulladdhaṃ vata me, na vata me suladdhaṃ, yassa me evaṃbuddhaṃ anussarato evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato, upekkhākusalanissitā na saṇṭhātī’ti

seyyathāpi: ind. just as.「あたかも〜のように」 →
suṇisā: f. a daughter-in-law.「嫁」(f. nom.) →「嫁が」
sasuraṃ:sasura 「舅」(m. acc.) →「舅(しゅうと)に」
āpajjati;:āpajjati; →

友よ、あたかも嫁が舅(しゅうと)を見て、はっとして畏れを抱くようなものです;友よ、このように実に、もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立しないと、それゆえに彼ははっとして、宗教心の感情をかき立てます(発奮します)— 「実に、私のこのようにブッダを随念している時、このようにダンマを随念している時、このようにサンガを随念している時、善に依るところの、の無執着が確立しないのは、私の失敗です、私のためになりません、私にとって悪いことです、私にとって良いことではありません」と。

Tassa ce, āvuso, bhikkhuno evaṃ buddhaṃ anussarato, evaṃ dhammaṃ anussarato, evaṃ saṃghaṃ anussarato upekkhā kusalanissitā saṇṭhāti, so tena attamano hoti

attamano:attamana 「心にかなっている・悦意の」 →

もし、その比丘が、そのようにブッダを随念している時、そのようにダンマを随念している時、そのようにサンガを随念している時、善に依るところの、彼の無執着が確立すると、それゆえに彼は、喜んでいます。

Ettāvatāpi kho, āvuso, bhikkhuno bahukataṃ hoti

ettāvatāpi:ettāvatā「これだけ、この範囲で」+ pi →
bahukataṃ:bahu 「多くの」(a.)+ kata 「なされた」(karotiのpp.) →

実に、友よ、ここまでで、比丘によって多くのことがなされています。


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初出: Sun December 06 2009 22:01 (+0900)


パーリ語はe-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)のパーリ経典を元にしています