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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (4/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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  • 日本語訳
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日本語訳

1056友よ、何が色取蘊でしょうか?四つの大きな要素と、四つの要素からなる色です。

1057友よ、何が四つの大きな要素でしょうか?地の要素、水の要素、火の要素、風の要素です。

パーリ語

(4/21)

1056 Katamo cāvuso, rūpupādānakkhandho? Cattāri ca mahābhūtāni, catunnañca mahābhūtānaṃ upādāya rūpaṃ.

1057Katamā cāvuso, cattāro mahābhūtā? Pathavīdhātu, āpodhātu, tejodhātu, vāyodhātu.

Katamo cāvuso, rūpupādānakkhandho? Cattāri ca mahābhūtāni, catunnañca mahābhūtānaṃ upādāya rūpaṃ
katamo:katama 「どれ・いずれ」(nom.)→「何が」
rūpupādānakkhandho?:rūpa + upādāna +(k)khandha (nom.) →「色取蘊であるか?」
cattāri:catu (n. nom.) →「四つ(の〜)が」
ca:「〜と、そして、また」
mahābhūtāni:mahā「大」+ bhūta 「要素・種」(n. nom.) →
catunnañca:catunnaṃ(catu, n. gen.)+ ca →
mahābhūtānaṃ:mahā+ bhūta (n. gen.)→
upādāya:(adv.)「〜から(できている)」→「執着して」
rūpaṃ:rūpa 「色・肉体」(n. nom.) →

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中部経典 32 Mahāgosiṅgasutta 牛角林大経 (日本語訳)

[マッジマ・ニカーヤ][牛角林大経]

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日本語訳

332

1140このように私は聞きました—ある時、世尊は牛角沙羅林園に多くの有名な有名な長老の弟子達と一緒に住んでおられました。サーリプッタ尊者と、マハー・モッガラーナ尊者と、マハー・カッサパ尊者と、アヌルッダ尊者と、レーワタ尊者と、アーナンダ尊者と、他の有名な有名な長老の弟子達と一緒に。実に、マハー・モッガラーナ尊者は、夕刻時に独座から立ち上がられて、マハー・カッサパ尊者のところにお近付きになられました。近付いてマハー・カッサパ尊者にこう仰いました—「さあ行きましょう、友、カッサパよ、サーリプッタ尊者のところに行きましょう、ダンマを聞きに」と。すると「そうしましょう、友よ」とマハー・カッサパ尊者は、マハー・モッガラーナ尊者に同意されました。そして、マハー・モッガラーナ尊者と、マハー・カッサパ尊者と、アヌルッダ尊者とは、サーリプッタ尊者のところにダンマを聞きに向かわれました。そこで、アーナンダ尊者は、マハー・モッガラーナ尊者と、マハー・カッサパ尊者と、アヌルッダ尊者とがサーリプッタ尊者のところに近付きつつあるのを御覧になりました。御覧になって、レーワタ尊者のところにお近付きになりました。近付かれて、レーワタ尊者のこのように仰いました—「友、レーワタよ、この善士達がサーリプッタ尊者のところにダンマを聞き近付きつつあります。さあ、行きましょう、友レーワタよ、サーリプッタ尊者のところにダンマを聞きに行きましょう」と。「そうしましょう、友よ」と、実にレーワタ尊者はアーナンダ尊者に同意なさいました。そこで、レーワタ尊者とアーナンダ尊者は、ダンマを聞きに、サーリプッタ尊者のところに向かわれました。

333.

1141そこで、サーリプッタ尊者は、レーワタ尊者とアーナンダ尊者が遠くから来つつあるのを御覧になりました。御覧になって、アーナンダ尊者にこのように仰いました —「さあ、アーナンダ尊者、いらっしゃい。ようこそ、世尊の奉仕者のお方、世尊の側近のお方。友アーナンダよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友アーナンダよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、比丘が多聞でいます、持聞者であり、聞集者でいます。それらのダンマは初めが善く、中も善く、終りも善く、役に立ち、正しく語られています。それらは完全に清浄な梵行を語ります。そのようにあるであろうダンマの多聞です。熟知し、よく覚え、心で観察し、見によってよく理解しています。彼は四衆にダンマを教示します。完全な言葉に随い従って煩悩の根絶のために。友、サーリプッタよ、実に、このような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょう」と。

334.

1142 このように言われた時に、サーリプッタ尊者はレーワタ尊者にこうに言われました—「友レーワタよ、語られたのは、アーナンダ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がレーワタ尊者に尋ねます—「友レーワタよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友レーワタよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、比丘が独座を楽しんでいます。独座を喜び、自らを心の寂止を整えようとしています、禅定を軽視しておらず、智慧を具え、頻繁に閑居をなしています。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

335.

1143このように言われた時に、サーリプッタ尊者はアヌルッダ尊者にこうに言われました—「友アヌルッダよ、語られたのは、レーワタ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がアヌルッダ尊者に尋ねます—「友アヌルッダよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友アヌルッダよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、比丘が、清らかで、常人を超えた天眼によって、千の世界を観察しています。友、サーリプッタよ、あたかも、眼がある者である人がすぐれた高楼に登り、千の車の外輪を観察するようなものです。友、サーリプッタよ、このように、比丘が、清らかで、常人を超えた、天眼によって、千の世界を観察しています。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

336.

1144このように言われた時に、サーリプッタ尊者はマハー・カッサパ尊者にこうに言われました—「友カッサパよ、語られたのは、アヌルッダ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がマハー・カッサパ尊者に尋ねます—「友カッサパよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友カッサパよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、比丘が、自らが林住者であり、林住を賞賛する者です、また、自らが常に托鉢で食を得ている者であり、常に托鉢で食を得ることを賞賛する者です、また、自らが糞掃衣を纏う者であり、糞掃衣を纏う者であることを賞賛する者です、自らが但三衣を纏う者であり、但三衣を纏うことを賞賛する者です、また、自らが小欲であり、小欲であることを賞賛する者です、また、自らがら知足であり、知足であることを賞賛する者です、また、自らが遠離している者であり、遠離を賞賛する者です、また自らが(人と)交際・接触をしない者であり、(人と)交際・接触をしないことを賞賛する者です、また、自らが勤精進であり、勤精進を賞賛する者です、また、自らがら具戒者であり、戒具足を賞賛する者です、また、自らが定具足者であり、定成就を賞賛する者です、また、自らが慧具足者であり、慧成就を賞賛する者です、また、自らが解脱具足者であり、解脱成就を賞賛する者です、また、自らが解脱智見具足者であり、解脱智見成就を賞賛するものです。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

337.

1145このように言われた時に、サーリプッタ尊者はマハー・モッガラーナ尊者にこうに言われました—「友モッガラーナよ、語られたのは、マハー・カッサパ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がマハー・モッガラーナ尊者に尋ねます—「友モッガラーナよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友モッガラーナよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友サーリプッタよ、二人の比丘が、勝れたダンマを語らっています、互いに問いを投げ掛け、彼ら互いに問われた側が問いに答えます、中断することなく、ダンマもそれらの語らいも進んでいます。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

338.

1146実に、モッガラーナ尊者はサーリプッタ尊者にこのように言われました —「友サーリプッタよ、語られたのは、私によって、(各々)全ての弁才に応じてです。それでは今度は私達がサーリプッタ尊者に尋ねます —「友サーリプッタよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友サーリプッタよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。「ここに、友モッガラーナよ、比丘が心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します。例えば、友モッガラーナよ、王あるいは王の大臣の様々な色の衣類で衣裳箱が一杯であるとしましょう。彼は、そのうちの一組の衣類を朝方に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を朝方に着ることでしょう;彼は、そのうちの一組の衣類を昼に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を昼に着ることでしょう;彼は、そのうちの一組の衣類を夕方に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を夕方に着ることでしょう;このように実に、友モッガラーナよ、比丘が心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します。友モッガラーナよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

339.

1147そこで、サーリプッタ尊者は、その尊者達に、このように言われました —「友よ、語られたのは、私達によって、(各々)全ての弁才に応じてです。さあ行きましょう、友よ、世尊のところに行きましょう;行ってこのことを世尊のお話しましょう。世尊が解説なさるその通りに、確かに憶えておきましょう」と。「そうしましょう、尊者よ」とその尊者達はサーリプッタ尊者に同意されました。そこで、これらの尊者達は、世尊のところに行かれました;行って世尊に挨拶をされ、片側にお座りになりました。片側にお座りになったサーリプッタ尊者は世尊にこう仰いました —「尊師よ、ここに、レーワタ尊者とアーナンダ尊者が私のところにダンマを聞きにお越しになりました。そこで、尊師よ、私は、レーワタ尊者とアーナンダ尊者が遠くから近付きつつあるのを見ました。見て、アーナンダ尊者にこのように言いました —『さあ、アーナンダ尊者、いらっしゃい。ようこそ、世尊の奉仕者のお方、世尊の側近のお方。友アーナンダよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友アーナンダよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。このように言われた時、尊師よ、アーナンダ尊者は私にこのように仰いました—『ここに、友サーリプッタよ、比丘が多聞でいます、持聞者であり、聞集者でいます。…(中略)…完全な言葉に随い従って煩悩の根絶のために。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』」と。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。アーナンダこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。サーリプッタよ、アーナンダは実に多聞であり、持聞者であり、聞集者です。それらのダンマは初めが善く、中も善く、終りも善く、役に立ち、正しく語られています。それらは完全に清浄な梵行を語ります。そのようにあるであろうダンマの多聞です。熟知し、よく覚え、心で観察し、見によってよく理解しています。彼は四衆にダンマを教示します。完全な言葉に随い従って煩悩の根絶のために」と。

340.

1148「尊師よ、このように言われた時に、私はレーワタ尊者にこうに言いました —『友レーワタよ、語られたのは、アーナンダ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がレーワタ尊者に尋ねます—友 レーワタよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友レーワタよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。尊師よ、このように言われた時に、レーワタ尊者はこのように仰いました —『ここに、友サーリプッタよ、比丘が独座を楽しんでいます。独座を喜び、自らを心の寂止を整えようとしています、禅定を軽視しておらず、智慧を具え、頻繁に閑居をなしています。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』」と。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。レーワタこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。レーワタは実に、独座を楽しみ、独座を喜び、自らを心の寂止を整えようとしています、禅定を軽視しておらず、智慧を具え、頻繁に閑居をなしています」と。

341.

1149「尊師よ、このように言われた時に、私はアヌルッダ尊者にこうに言いました —『友アヌルッダよ、語られたのは、レーワタ尊者によって自分の弁才に応じてです。…(中略)…友アヌルッダよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。尊師よ、このように言われた時に、アヌルッダ尊者はこのように仰いました—『ここに、友サーリプッタよ、比丘が、清らかで、常人を超えた天眼によって、千の世界を観察しています。友、サーリプッタよ、あたかも、眼がある者である人が…(中略)…。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』と」。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。アヌルッダこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。サーリプッタよ、アヌルッダは実に清らかで、常人を超えた天眼によって、千の世界を観察します。」

342.

1150「尊師よ、このように言われた時に、私はマハー・カッサパ尊者にこうに言いました— 『友カッサパよ、語られたのは、アヌルッダ尊者によって自分の弁才に応じてですそれでは今度は私達がマハー・カッサパ尊者に尋ねます…(中略)…友カッサパよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。尊師よ、このように言われた時に、カッサパ尊者はこのように仰いました—『「ここに、友サーリプッタよ、比丘が、自らが林住者であり、林住を賞賛する者です、また、自らが常に托鉢で食を得ている者であり、…(中略)…、また、自らが糞掃衣を纏う者であり、…(中略)…、自らが但三衣を纏う者であり、…(中略)…、また、自らが小欲であり、…(中略)…、また、自らがら知足であり、…(中略)…、また、自らが遠離している者であり、…(中略)…、また自らが(人と)交際・接触をしない者であり、…(中略)…、また、自らが勤精進であり、…(中略)…、また、自らがら具戒者であり、…(中略)…、また、自らが定具足者であり、…(中略)…、また、自らが慧具足者であり、…(中略)…、また、自らが解脱具足者であり、…(中略)…、また、自らが解脱智見具足者であり、解脱智見成就を賞賛するものです。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』と」。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。カッサパこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。サーリプッタよ、カッサパは実に、自らが林住者であり、林住を賞賛する者です、また、自らが常に托鉢で食を得ている者であり、常に托鉢で食を得ることを賞賛する者です、また、自らが糞掃衣を纏う者であり、糞掃衣を纏う者であることを賞賛する者です、自らが但三衣を纏う者であり、但三衣を纏うことを賞賛する者です、また、自らが小欲であり、小欲であることを賞賛する者です、また、自らがら知足であり、知足であることを賞賛する者です、また、自らが遠離している者であり、遠離を賞賛する者です、また自らが(人と)交際・接触をしない者であり、(人と)交際・接触をしないことを賞賛する者です、また、自らが勤精進であり、勤精進を賞賛する者です、また、自らがら具戒者であり、戒具足を賞賛する者です、また、自らが定具足者であり、定成就を賞賛する者です、また、自らが慧具足者であり、慧成就を賞賛する者です、また、自らが解脱具足者であり、解脱成就を賞賛する者です、また、自らが解脱智見具足者であり、解脱智見成就を賞賛するものです」と。

343.

1151「尊師よ、このように言われた時に、私はマハー・モッガラーナ尊者にこうに言いました —『友モッガラーナよ、語られたのは、マハー・カッサパ尊者によって自分の弁才に応じてです。それでは今度は私達がマハー・モッガラーナ尊者に尋ねます。…(中略)…友モッガラーナよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか」と。尊師よ、このように言われた時に、マハー・モッガラーナ尊者はこのように仰いました—『ここに、友サーリプッタよ、二人の比丘が、勝れたダンマを語らっています、互いに問いを投げ掛け、彼ら互いに問われた側が問いに答えます、中断することなく、ダンマもそれらの語らいも進んでいます。友サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』と」。「善き哉、善き哉、サーリプッタよ。モッガラーナこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。サーリプッタよ、モッガラーナは実に、ダンマを語る者です」と。

344.

1152このように言われた時、マハー・モッガラーナ尊者は世尊にこう言われました—「尊師よ、時に、実に私はサーリプッタ尊者にこう言いました—『友サーリプッタよ、語られたのは、私によって、(各々)全ての弁才に応じてです。それでは今度は私達がサーリプッタ尊者に尋ねます—友サーリプッタよ、牛角(ゴーシンガ)沙羅林は喜ばしいことです、今宵は月夜です、沙羅の樹々は全てが満開です、香は天の香のようです。友サーリプッタよ、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか』と。尊師よ、このように言われた時に、サーリプッタ尊者はこのように仰いました—『ここに、友モッガラーナよ、比丘が心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します。例えば、友モッガラーナよ、王あるいは王の大臣の様々な色の衣類で衣裳箱が一杯であるとしましょう。彼は、そのうちの一組の衣類を朝方に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を朝方に着ることでしょう;彼は、そのうちの一組の衣類を昼に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を昼に着ることでしょう;彼は、そのうちの一組の衣類を夕方に着ようと望むでしょうし、彼はその一組の衣類を夕方に着ることでしょう;このように実に、友モッガラーナよ、比丘が心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します。友モッガラーナよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます』と」。「善き哉、善き哉、モッガラーナよ。サーリプッタこそは、正しく語る者であり、そのように解答することでしょう。モッガラーナよ、サーリプッタは実に、心に支配力を行使しています、比丘は心の支配力によって行使されていません。彼は、朝方に住等至によって住しようと望み、朝方にその住等至によって住します;昼間に住等至によって住しようと望み、昼間にその住等至によって住します;夕方に住等至によって住しようと望み、夕方にその住等至によって住します」と。

345.

1153このように言われた時、サーリプッタ尊者は世尊にこう仰いました—「尊師よ、どれが善く説かれていますでしょうか」と。「サーリプッタよ、あなた方の全員によって、(それぞれの)方法によって善く説かれています。それでは、また、どのような姿の比丘によって牛角沙羅林が輝くでしょうか、私から聞きなさい。サーリプッタよ、ここに比丘が、食後に托鉢から戻り座ります、足を組み、真っ直ぐに身体をしようとし、前に気づきを備えて—『私はこの足を解くまい、私の心が無執着になって漏から解脱しない限りは』と。サーリプッタよ、このような姿の比丘が牛角沙羅林がを輝かせます」と。

1154世尊はこのように言われました。満足された尊者たちは世尊の語られたことに歓喜なさいました。

1155牛角林大経、終り。第二。

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (5/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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  • パーリ語

日本語訳

302.

1058友よ、何が地の要素でしょうか?地の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の地の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものです,それはこのようにです —毛髪、体毛、爪、歯、皮膚、肉、腱、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺臓、腸、腸間膜、胃の中の食べ物、大便,また他にも内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものは何でもです。友よ、これが、内の地の要素と言われます。また内側の地の要素であるところのもの、外側の地の要素であるところのもの、それこそが地の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、地の要素から厭離します、地の要素から心を離貪させます。

パーリ語

(5/21)

302.

1058 Katamā cāvuso, pathavīdhātu? Pathavīdhātu siyā ajjhattikā, siyā bāhirā. Katamā cāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu? Yaṃ ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ, seyyathidaṃ— kesā lomā nakhā dantā taco maṃsaṃ nhāru aṭṭhi aṭṭhimiñjaṃ vakkaṃ hadayaṃ yakanaṃ kilomakaṃ pihakaṃ papphāsaṃ antaṃ antaguṇaṃ udariyaṃ karīsaṃ, yaṃ vā panaññampi kiñci ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ. Ayaṃ vuccatāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu. Yā ceva kho pana ajjhattikā pathavīdhātu, yā ca bāhirā pathavīdhātu, pathavīdhāturevesā. ‘Taṃ netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti— evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya daṭṭhabbaṃ. Evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya disvā pathavīdhātuyā nibbindati, pathavīdhātuyā cittaṃ virājeti.

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (3/21)

[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

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日本語訳

301.

1055友よ、何がドゥッカの聖なる真理でしょうか?生もまたドゥッカです、老もまたドゥッカです、死もまたドゥッカです、悲しみ、嘆き、苦しみ、悩み、失望もまたドゥッカです、欲しいものが得られないこともまたドゥッカです。要するに、五つの執着する蘊がドゥッカです。友よ、何が五つの執着の蘊でしょうか?それはこのようにです—色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊です。

パーリ語

(3/21)

301.

1055 Katamañcāvuso, dukkhaṃ ariyasaccaṃ? Jātipi dukkhā, jarāpi dukkhā, maraṇampi dukkhaṃ, sokaparidevadukkhadomanassupāyāsāpi dukkhā, yampicchaṃ na labhati tampi dukkhaṃ; saṃkhittena, pañcupādānakkhandhā dukkhā. Katame cāvuso, pañcupādānakkhandhā? Seyyathidaṃ—rūpupādānakkhandho, vedanupādānakkhandho, saññupādānakkhandho, saṅkhārupādānakkhandho, viññāṇupādānakkhandho.

Katamañcāvuso, dukkhaṃ ariyasaccaṃ? Jātipi dukkhā, jarāpi dukkhā, maraṇampi dukkhaṃ, sokaparidevadukkhadomanassupāyāsāpi dukkhā, yampicchaṃ na labhati tampi dukkhaṃ; saṃkhittena, pañcupādānakkhandhā dukkhā
katamañcāvuso:katamaṃ(katama 「どれ・どの」 n. nom.)+ca + āvuso 「友よ」 →
dukkhaṃ: dukkha 「苦」(n. nom.)→
ariyasaccaṃ?:ariyasacca (n. nom.) →「聖なる真理であるか?」
jātipi:jāti 「生」(f. nom.)+ pi 「〜も」 →「生もまた」
dukkhā:dukkha 「苦」(n. nom.) →「苦である」
jarāpi:jarā「老」(f. nom.)+ pi →「老もまた」
maraṇampi:maraṇaṃ(maraṇa 「死」 n. nom.)+ pi →「死もまた」
sokaparidevadukkhadomanassupāyāsāpi:soka 「悲しみ」+ parideva 「嘆き」+ dukkha 「苦しみ」+ domanassa 「悩み」+ upāyāsa 「失望」+ api →「悲しみ、嘆き、苦しみ、悩み、失望もまた」
yampicchaṃ:yaṃ(ya, n. nom.)「〜のところものが」+ (p)+ iccha (a.)「望んでいる・欲しい」 →
na:(否定)
labhati: labh + a gets; obtains; attains.→「得る」
tampi:taṃ「それ」(taṃ nom.)+ pi →
saṃkhittena:saṅkhittena (saṅkhitta「簡略の」(a.)) →「要するに・要略すれば」
pañcupādānakkhandhā: pañca 「五」+upādāna 「取・執着」+(k)khandha 「蘊」(m. pl. nom.) →「五つの執着する蘊が(五取蘊が)」

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中部経典 28 Mahāhatthipadopamasutta 象跡喩大経 (2/21)

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日本語訳

1054「友よ、いかなるジャングルの生命達の足跡を集めたものそれら全てが、象の足跡に入ってしまいます、象の足跡はその偉大さによって第一であると話されます。友よ、あたかもそのように、いかなる善きダンマはすべて四つの聖なる真理にまとめられます。いずれの四つにおいてでしょうか。ドゥッカの聖なる真理(苦聖諦)、ドゥッカの原因の聖なる真理(苦集聖諦)、ドゥッカの滅尽の聖なる真理(苦滅聖諦)、ドゥッカの滅尽に導く道の聖なる真理(苦滅道聖諦)においてです。

パーリ語

(2/21)

1054 “Seyyathāpi, āvuso, yāni kānici jaṅgalānaṃ pāṇānaṃ padajātāni sabbāni tāni hatthipade samodhānaṃ gacchanti, hatthipadaṃ tesaṃ aggamakkhāyati yadidaṃ mahantattena; evameva kho, āvuso, ye keci kusalā dhammā sabbete catūsu ariyasaccesu saṅgahaṃ gacchanti. Katamesu catūsu? Dukkhe ariyasacce, dukkhasamudaye ariyasacce, dukkhanirodhe ariyasacce, dukkhanirodhagāminiyā paṭipadāya ariyasacce.

“Seyyathāpi, āvuso, yāni kānici jaṅgalānaṃ pāṇānaṃpadajātāni sabbāni tāni hatthipade samodhānaṃ gacchanti, hatthipadaṃ tesaṃaggamakkhāyati yadidaṃ mahantattena; evameva kho, āvuso, ye keci kusalā dhammā sabbetecatūsu ariyasaccesu saṅgahaṃ gacchanti
seyyathāpi:seyyathā「そのように」+ pi →
āvuso: ind.(Vocative), friend; brother.(A form ofpolite address among monks).→「友よ」
yāni:ya 「〜のところのもの」(n. pl. nom. acc.) →
kānici:ka-ci「何か」(疑問代名詞)(n. pl. nom. acc.) →
jaṅgalānaṃ:jaṅgala 「荒地・沙漠・ジャングル」(pl. dat. gen.) →「ジャングルの」
pāṇānaṃ:pāṇa 「生命・生物・有情」(pl. dat. gen.) →「生命(達)の」
padajātāni:pada 「足・足跡」+ jāta 「集まり」(pl. gen.)→「足跡を集めたものの」
sabbāni:sabba 「全ての・一切の」(pl. nom. acc.) →「すべてが」
tāni:taṃ「それ」(pl. nom.) →「それらが」
hatthipade:hatthi 「象の」 pada 「足跡」(loc.) →「象の足跡において」
samodhānaṃ:samodhāna 「集まり・集合」 →
gacchanti:gacchati 「行く」(pl. 3rd.) →
hatthipadaṃ:hatthipada 「象の足跡」(n. nom. acc.) →「象の足跡は」
tesaṃ:taṃ「それ」(n. pl.gen.) →「それの」
aggamakkhāyati:aggaṃ(agga: a.)「第一・最高」+ akkhāyati (akkhāti「話す・告げる」のpass.)「話される」 →
yadidaṃ:(yaṃ+ idaṃ), ind. which is this; that is; namely.→
mahantattena;:mahantatta 「偉大であること」(n. instr.) →「偉大であることによって」
evameva:evaṃ+ eva →
ye:ya 「〜のところのもの」(pl. nom. acc.) →
keci:ke (ka 「何」: pl. nom. acc.)+ ci (=「いかなる〜も」ever) →
kusalā:kusala 「善い」(pl. nom.) →
dhammā:dhamma「ダンマ」(pl. nom.) →
sabbete:sabbete →
catūsu:catu 「四」(m. n. loc.) →
ariyasaccesu:ariya 「聖(なる)」+ sacca 「真理・諦」(pl. loc.) →
saṅgahaṃ:saṅgaha 「扱い・集まり」(acc.) →

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最終更新時間: 2015-06-29 12:47