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[マッジマ・ニカーヤ][象跡喩大経]

2009-09-21

目次


日本語訳

302.

1058友よ、何が地の要素でしょうか?地の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。友よ、何が内側の地の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものです,それはこのようにです —毛髪、体毛、爪、歯、皮膚、肉、腱、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺臓、腸、腸間膜、胃の中の食べ物、大便,また他にも内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものは何でもです。友よ、これが、内の地の要素と言われます。また内側の地の要素であるところのもの、外側の地の要素であるところのもの、それこそが地の要素です。「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。このように、これを如実に正しい智慧によって見て、地の要素から厭離します、地の要素から心を離貪させます。

パーリ語

(5/21)

302.

1058 Katamā cāvuso, pathavīdhātu? Pathavīdhātu siyā ajjhattikā, siyā bāhirā. Katamā cāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu? Yaṃ ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ, seyyathidaṃ— kesā lomā nakhā dantā taco maṃsaṃ nhāru aṭṭhi aṭṭhimiñjaṃ vakkaṃ hadayaṃ yakanaṃ kilomakaṃ pihakaṃ papphāsaṃ antaṃ antaguṇaṃ udariyaṃ karīsaṃ, yaṃ vā panaññampi kiñci ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ. Ayaṃ vuccatāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu. Yā ceva kho pana ajjhattikā pathavīdhātu, yā ca bāhirā pathavīdhātu, pathavīdhāturevesā. ‘Taṃ netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti— evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya daṭṭhabbaṃ. Evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya disvā pathavīdhātuyā nibbindati, pathavīdhātuyā cittaṃ virājeti.

Katamā cāvuso, pathavīdhātu? Pathavīdhātu siyā ajjhattikā, siyā bāhirā

pathavīdhātu?:pathavīdhātu? →
siyā:atthi「ある」のopt. sg. 3rd. →「あり得る」
ajjhattikā:ajjhattika 「内の」(a. sg. nom.) →「内のものである」
bāhirā:bāhira 「外の・外側の」(a. sg. nom.) →

友よ、何が地の要素でしょうか?地の要素は内側のものであり得ます、外側のものであり得ます。

Katamā cāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu? Yaṃ ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ, seyyathidaṃ—kesā lomā nakhā dantā taco maṃsaṃ nhāru aṭṭhi aṭṭhimiñjaṃ vakkaṃ hadayaṃ yakanaṃ kilomakaṃ pihakaṃ papphāsaṃ antaṃ antaguṇaṃ udariyaṃ karīsaṃ, yaṃ vā panaññampi kiñci ajjhattaṃ paccattaṃ kakkhaḷaṃ kharigataṃ upādinnaṃ

yaṃ:(nt. sing. of ya), adv. which; whatever thing. adv. because of.→
ajjhattaṃ: adv. inwardly.→
paccattaṃ:「各自の」(a.)→「各自の」
kakkhaḷaṃ:kakkhaḷa (a.)「粗い」 →
kharigataṃ:kharigata 「固くなった」(a.) →
upādinnaṃ:upādinna (upādiyatiの pp.) →「執着された」
kesā:kesa 「髪・毛髪」(pl. nom.) →
lomā:loma 「体毛」(pl. nom.) →
nakhā:nakha 「爪」(m. pl. nom.)→
dantā:danta「歯」(m. pl. nom.) →
taco:taco (taca)「皮」(n? nom.) →
maṃsaṃ:maṃsa 「肉」(n. sg. nom.) →
nhāru:(= nahāru)腱、すじ(m. sg. nom.)→
aṭṭhi:aṭṭhi 「骨」(n. sg. nom.)→
aṭṭhimiñjaṃ:aṭṭhimiñja 「骨髄」(n. nom.) →
vakkaṃ:vakka 「腎臓」(n. nom.) →
hadayaṃ:hadaya 「心臓」(m. nom.) →
yakanaṃ:yakana 「肝臓」(n. nom.)→
kilomakaṃ:kilomaka 「胸膜・肋膜」(m. nom.?) →
pihakaṃ:pihaka 「脾臓」(n. acc.?) →
papphāsaṃ:papphāsa 「肺・肺臓」(n. nom.) →
antaṃ:anta 「腸・小腸」(n. nom.) →
antaguṇaṃ:antaguṇa 「腸間膜」(m?. nom.?) →
udariyaṃ:udariya 「胃の中の食べ物」(a.)→
karīsaṃ:karīsa 「大便」(n. nom.) →
:「または、あるいは」
panaññampi:pana 「また」+ aññaṃ(añña「他の」)+ pi 「〜も」 →
kiñci:kiñci 「何でも」→

友よ、何が内側の地の要素でしょうか?内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものです,それはこのようにです —毛髪、体毛、爪、歯、皮膚、肉、腱、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺臓、腸、腸間膜、胃の中の食べ物、大便,また他にも内側にあり、各々にあり、粗い、固くなった、執着されたところものは何でもです。

Ayaṃ vuccatāvuso, ajjhattikā pathavīdhātu

ayaṃ:(nom. sing. of ima), m.; f. this person.→「これが」
vuccatāvuso:vuccati 「言われる」(vacのpass.)+ āvuso →「言われる」

友よ、これが、内の地の要素と言われます。

Yā ceva kho pana ajjhattikā pathavīdhātu, yā ca bāhirā pathavīdhātu, pathavīdhāturevesā

:ya 「〜のところのもの」(f. nom.) →
ceva:ca 「また」+eva 「こそ」 →
pana:(Adversative and interogative particle) ind. and; yet; but; out the contrary; and now;more over.→「また」
pathavīdhāturevesā:pathavī+ dhātu (f. nom.)+(r)eva + esā(etad「それ」f. nom.) →「地の要素こそがそれです。」

また内側の地の要素であるところのもの、外側の地の要素であるところのもの、それこそが地の要素です。

‘Taṃ netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti—evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya daṭṭhabbaṃ

taṃ:taṃ(nom. sg.)「それが」
netaṃ:na (否定)+ etaṃ →
mama:ahaṃ「私」(gen., dat.) →
nesohamasmi:na + eso (etad のnom.「これが」)+ ahaṃ+asmi (atthi 「ある」の pres. 1st.) →
meso:me (gen.)「私の」+ eso (etad m. sg. nom.)「これが」 →
attā’ti:attā(attanのnom.)「我・自分」+ iti →
evametaṃ:evaṃ「このように」+etaṃ(nom.)「それは」 →
yathābhūtaṃ: yathā「〜のように」+ bhūtaṃ adv. in truth; in reality; in its real essence.→「如実に」
sammappaññāya:sammā「正しく・完全に」+ (p)paññā「智慧」(f. sg. instr.) →
daṭṭhabbaṃ:daṭṭhabba (dassatiのgrd. a.)「見られるべき」 →

「それは私のものではありません、これが私ではありません、これが私の自我ではありません」と、このようにこれを如実に正しい智慧でもって見られるべきです。

Evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya disvā pathavīdhātuyā nibbindati, pathavīdhātuyā cittaṃ virājeti

disvā: dassati「見る・理解する」のger.→「見て・理解して」
pathavīdhātuyā:pathavīdhātu (f. abl.) →「地の要素から」
nibbindati: ni + vid + ṃ-a gets wearied of; is disgusted with.「厭う・厭離する」
cittaṃ:citta「心」(acc.) →「心を」
virājeti:(vi「離れる」-rajjati 「染着する・楽しむ」→「離貪する」のcaus.)「離貪させる・貪欲を離れさせる」 vi + rāj + e discards; removes; destroys.→

このように、これを如実に正しい智慧によって見て、地の要素から厭離します、地の要素から心を離貪させます。


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初出: Mon September 21 2009 22:12 (+0900)


パーリ語はe-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)のパーリ経典を元にしています