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パーリ語-英語辞書キット

[パーリ語]

パーリ語-英語辞書の電子辞書化するキットを作ってみました。いわゆる EPWING 形式のものです(EPWINGに関しては EPWINGコンソーシアムも御覧下さい)。

ご注意:この辞書化キットで生成したEPWING辞書の配布はしないで下さい。

概要

この辞書はA. P. Buddhadatta大長老の"Concise Pali-English Dictionary"の電子版を元に、 FreePWING を用いてEPWING化するキットです。

A. P. Buddhadatta大長老の"Concise Pali-English Dictionary"の詳しくは"Concise Pali-English Dictionary"電子版辞書を御覧下さい。

その"Concise Pali-English Dictionary"の電子版はDimitry Ivakhnenko氏によるものです。

ご注意:この辞書化キットで生成したEPWING辞書の配布はしないで下さい。

ライセンス

ここでは、EPWING化した辞書そのものの配布はしません。なぜならば、"Concise Pali-English Dictionary"の電子版の配布条件を尊重するためです。

以下は電子版の配布に関するオリジナルの文面です。

This electronic version is offered FOR FREE DISTRIBUTION ONLY by arrangement with the publisher.This is a Gift of Dhamma. You may print this file for your personal use, and you may make and distribute unaltered copies of this file, provided that you charge no fees of any kind for its distribution.Otherwise, all rights reserved.

以下にその日本語訳を示します:

"この電子版は出版社との取り決めによって、自由配布のみ許可されます。これは法(ダンマ)の贈り物です。個人的な使用のための印刷と改変していないファイルの配布を、いかなる代金をも一切受け取ることなく、行ってかまいません。それ以外の著作権は保護されています。"

このような配布の条件を尊重するために、電子版データを元に個人的に辞書を生成することが最善と考えました。

辞書化キットのライセンス

このパーリ語-英語辞書キットはフリーソフトウェアです。あなたは、Free Software Foundation が公表したGNU General Public License (GNU 一般公有使用許諾)バージョン 2あるいはそれ以降の各バージョンの中からいずれかを選択し、そのバージョンが定める条項に従って本プログラムを再頒布または変更することができます。

本プログラム:パーリ語-英語辞書キットは有用とは思いますが、頒布にあたっては、市場性及び特定目的適合性についての暗黙の保証を含めて、いかなる保証も行いません。詳細についてはGNU General Public License をお読み下さい。

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分詞: 現在分詞 missakiriyā

[パーリ語]

現在分詞 missakiriyā

  • 分詞のなかで頻出するのは現在能動分詞・過去受動分詞・未来受動分詞
  • 分詞は全て動詞的な形容詞の性格を持つ
  • 名詞的な格変化・曲用(語尾変化)
  • 現在分詞は「形容詞的」「修飾語的」な名詞のように使われ、性・格・数が一致する

意味

  • 現在分詞が示しているのは、文の主となる動作と同時に(missa)起こっている動作
  • 「〜している」
  • 「〜している時」、「〜している間に」と訳すことがある

語尾

  • 語尾は、-t,-nta,-aṃまたは-ṃ,-māna,-āna
    • 現在時制の動詞の語根・語基につく
    • aṃは語根につく
    • -nta と-ṃ、-māna は語基につく
  • 例えば、bhūから語幹 bhavant、bhavamānaが形成され、両方とも意味は「存在」。
  • ntの語幹は、ほとんど全ての動詞で最も普通に使われる。
  • 男性・主格・単数の他の変化:
    • karonto 「(何かを)すること」
    • paññāpento 「宣言すること」
  • -mānaの形は、-a語基の他の名詞と全く同じように変化する
    • asから語基 samāna 「(〜で)あること」「存在」が作られ、男性・主格・単数は samāno となる。これは頻繁(santよりも頻繁に)に使われる(santもまた良く使われる)。
    • 単語bhavant(とbhava)とsantは「存在」と同様に、別の特別な意味をも持つが、そういう特別の意味を持たないsamānoは、曖昧さを避けることが出来る
語根語基ppr意味
√pac 「料理する」paca paca, pacanta料理している(時)
√kar,「する」 kara kara, karontaしている(時)
√chid 「切る」chinda chinda, chindanta,切っている「時」
√bhaṇ「言う」bhaṇabhaṇa, bhaṇanta言っている
√bhū「ある」bhava bhava bhavantaある
√pā,「飲む」pivapiva, pivanta,飲んでいる

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サンユッタ・ニカーヤ 47-19 註釈 (1/5)

[サンユッタ・ニカーヤ][注釈書]

目次

9 セーダカ経註釈

第九におけるsumbhesūとは、このような名である地方におけるということです。 medakathālikā(メーダカターリカー)とはこのように女相の影響によって得た名前です。 Mamaṃ rakkha, ahaṃ taṃ rakkhissāmī(『私を守りなさい、私は君を守ります。』)とは、(ここに、)これが彼の主張です。師匠が、持ち上げた竹竿を、しっかり掴んでいるものを、捕まえてなく、弟子によって跳びて移られた方向に行っていない、いつでも竹竿の行くところを見上げていない時、弟子を守りません、実に、守られていない弟子は落ちて粉々に打ち砕かれてしまうのである(と)。しかし、竹竿をしっかり掴み捕まえていつつ、それゆえに、跳ねて飛び移られた方向に行きつつ、いつでも竹の行くところを見上げていつつある時、実に彼を守ります。これより、乗せられた者の弟子もまた、飛び跳ねて鹿のように遊んでいる時、師匠を守りません。実に、このようにあるときは、鋭い竹竿の先は師匠の喉輪に、または、額に、置かれて立ててある処を破っていくことでしょう。行いを具えた者の竹竿は曲がり、しかし、そこから曲げないようにしつつ、彼を引かしめつつあるように、一緒につながっているようにして、またしかし柱の近くを掴ませて、念をよく供えて、不動のように座つつある時、師匠を守ります。Tvaṃācariya attānaṃ rakkha, ahaṃ attānaṃ rakkhissāmī(『先生、あなたは御自分を守って下さい、私は私を守ります。』)とある、ここにこの意味は、–師匠はしっかり掴んだ竹竿を捕まえていつつ、弟子によって跳び移られた四方に行きつつ、いつでも竹竿の行く先を見上げつつ、自分こそを守ります、弟子をではありません。弟子もまた、身体をもまた一緒につながっているようにして、またしかし柱の近くを掴ませて、気づきをよく供えられたようにして、不動であるかのように座りつつ、自分こそを守ります、実に、師匠をではありません

So tattha ñāyo(彼が、その時、正しいのです)とは、メーダカターリカーが言ったことです。彼はその時正しく、彼のやり方が、その根拠である、という意味です。 Satipaṭṭhānaṃsevitabbaṃ(気づきを実践するべきです)とは、四つの念住を実践するべきであるということです。Āsevanāyā(実践によって)とは、瞑想(の主体)を実践することで、ということです。Evaṃ kho, bhikkhave, attānaṃ rakkhanto paraṃ rakkhatī(このように、比丘達よ、自分を守る者が他を守るのです)とは、比丘が世俗の喜びに耽ることを捨てて夜も昼も根本の瞑想(の主体)を実践し修習して阿羅漢果を得ること、またそれを他の者が見て「賢者である比丘はそのように正行者であるのだ」と心を清らかにして天界に至るということです。これが、自分を守っている者が他を守るということです。

khantiyāとは、「忍住・忍耐によって」です。avihiṃsāyā「害さないことによって」とは「自分の前の悲の心によって」ということです。Mettacittatāyā(「慈しみの心によって」)とは、「自分の前の慈しみによって」ということです。Anudayatāyā(憐れみの心でいることによって)とは、随いて増大した自分の前の喜(の心)によってという意味です。 Paraṃ rakkhanto attānaṃ rakkhatī(他を守っている者は自分を守ります)と、ここに夜に昼に行なった比丘が三つの梵住において三つの四禅定をつくり、禅定の基礎(第一?)をつくって行を思惟しつつヴィパッサナーの智慧を成長させて阿羅漢果を得るのです。これが、実に、他を守っている者が自分を守ることであると、理解されるべきです。

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サンユッタ・ニカーヤ 47-19 註釈 (2/5)

[サンユッタ・ニカーヤ][注釈書]

目次

9. Sedakasuttavaṇṇanā

9. Sedakasuttavaṇṇanā

sedakasuttavaṇṇanā:sedakasutta + vaṇṇanā(f)「註釈」→「セーダカ経註釈」

第一段落

385. Navame sumbhesūti evaṃnāmake janapade.Medakathālikāti evaṃ itthiliṅgavasena laddhanāmaṃ.Mamaṃ rakkha, ahaṃ taṃ rakkhissāmīti ettha ayaṃ tassa laddhi –ācariyo ukkhittavaṃsaṃ suggahitaṃ agaṇhanto, antevāsikena pakkhantapakkhantadisaṃ agacchanto, sabbakālañca vaṃsaggaṃ anullokento antevāsikaṃ na rakkhati nāma, evaṃ arakkhito antevāsiko patitvā cuṇṇavicuṇṇaṃ hoti. Vaṃsaṃ pana suggahitaṃ gaṇhanto, tena pakkhantapakkhantadisaṃ gacchanto, sabbakālañca vaṃsaggaṃ ullokento taṃ rakkhati nāma. Antevāsikopi ito cito ca pakkhanditvā migo viya kīḷanto ācariyaṃ na rakkhati nāma. Evañhi sati tikhiṇavaṃsakoṭi ācariyassa galavāṭake vā nalāṭe vāṭhapitāṭhitaṭṭhānaṃ bhinditvā gaccheyya.Ācārasampannatāya pana yato vaṃso namati, tato anāmento taṃākaḍḍhento viya ekatobhāgiyaṃ katvā vātūpathambhaṃ gāhāpetvā satiṃ sūpaṭṭhitaṃ katvā niccalova nisīdanto ācariyaṃ rakkhati nāmāti.

Navame sumbhesūti evaṃnāmake janapade.
navame:navama「第九の」(loc.)→「第九における」
sumbhesūti:「sumbhesūとは」
evaṃnāmake:evaṃ「このような」+ nāmaka 「名の」(loc.)→「このような名である(loc.)」
janapade:janapada 「地方」(loc.)→「地方における」

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サンユッタ・ニカーヤ 47-19 註釈 (3/5)

[サンユッタ・ニカーヤ][注釈書]

目次

第二段落

Tvaṃācariya attānaṃ rakkha, ahaṃ attānaṃ rakkhissāmīti ettha ayamadhippāyo –ācariyo vaṃsaṃ suggahitaṃ gaṇhanto, antevāsikena pakkhantapakkhantadisaṃgacchanto , sabbakālañca vaṃsaggaṃ ullokento, attānameva rakkhati, na antevāsikaṃ. Antevāsikopi kāyampi ekatobhāgiyaṃ katvā vātūpathambhaṃ gāhāpetvā satiṃ sūpaṭṭhitaṃ katvā niccalova nisīdamāno attānaṃyeva rakkhati nāma, naācariyaṃ.

ayamadhippāyo:ayaṃ「この」(nom.?)+adhippāya 「意味」→「この意味は」
vaṃsaṃ:vaṃso (acc.)→「竹竿を」
pakkhantapakkhantadisaṃgacchanto:pakkhanta (pp. of pakkhandati:跳び移った)+ pakkhanta + disaṃ「四方に」+gacchanta 「行きつつ」(nom.)→「跳び移られた四方に行きつつ」
ullokento: ullokento →「見上げつつ」
attānameva:attānaṃ(attan: acc.)「自分を」+ eva 「こそ」→
rakkhati:「守る」(sg.3rd)
antevāsikaṃ:antevāsikaṃ→「弟子もまた」
kāyampi:kāyaṃ(kāya 「身体」acc.)+ pi →「身体をもまた」
nisīdamāno:nisīdatiのppr.(nisīda + māna)→「座りつつ」
attānaṃyeva:attānaṃ(attan: acc.)「自分を」+ yeva (= eva)「こそ」→
ācariyaṃ:ācariya (acc)→「師匠を」

Tvaṃācariya attānaṃ rakkha, ahaṃ attānaṃ rakkhissāmī(『先生、あなたは御自分を守って下さい、私は私を守ります。』)とある、ここにこの意味は、–師匠はしっかり掴んだ竹竿を捕まえていつつ、弟子によって跳び移られた四方に行きつつ、いつでも竹竿の行く先を見上げつつ、自分こそを守ります、弟子をではありません。弟子もまた、身体をもまた一緒につながっているようにして、またしかし柱の近くを掴ませて、気づきをよく供えられたようにして、不動であるかのように座りつつ、自分こそを守ります、実に、師匠をではありません

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サンユッタ・ニカーヤ 47-19 註釈 (4/5)

[サンユッタ・ニカーヤ][注釈書]

目次

第三段落

So tattha ñāyoti yaṃ medakathālikāāha. So tattha ñāyo, so upāyo, taṃ kāraṇanti attho.Satipaṭṭhānaṃsevitabbanti catubbidhaṃ satipaṭṭhānaṃ sevitabbaṃ.Āsevanāyāti kammaṭṭhānāsevanāya.Evaṃ kho, bhikkhave, attānaṃ rakkhanto paraṃ rakkhatīti yo bhikkhu kammārāmatādīni pahāya rattiṭṭhānadivāṭṭhānesu mūlakammaṭṭhānaṃāsevanto bhāvento arahattaṃ pāpuṇāti, atha naṃ paro disvā–‘‘bhaddako vatāyaṃ, bhikkhu, sammāpaṭipanno’’ti tasmiṃ cittaṃ pasādetvā saggaparāyaṇo hoti. Ayaṃ attānaṃ rakkhanto paraṃ rakkhati nāma.

So tattha ñāyoti yaṃ medakathālikāāha.
yaṃ:yaṃ(nom.)→「〜のところのもの」
medakathālikā:medakathālikā→
āha:āha →「言った」

So tattha ñāyo(彼が、その時、正しいのです)とは、メーダカターリカーが言ったことです。

So tattha ñāyo, so upāyo, taṃ kāraṇanti attho.
ñāyo:ñāya 「「真理・正しいありさま」」→
so:so →
upāyo:upāya 「手段・方法」(nom.)→
kāraṇanti:kāraṇaṃ「原因・根拠」+ ti (ṃ+ti → nti)→
attho:attha 「意味」(nom.)→

彼はその時正しく、彼のやり方が、その根拠である、という意味です。

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サンユッタ・ニカーヤ 47-19 註釈 (5/5)

[サンユッタ・ニカーヤ][注釈書]

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第四段落

Khantiyāti adhivāsanakhantiyā.Avihiṃsāyāti sapubbabhāgāya karuṇāya.Mettacittatāyāti sapubbabhāgāya mettāya.Anudayatāyāti anuvaḍḍhiyā, sapubbabhāgāya muditāyāti attho.Paraṃ rakkhanto attānaṃ rakkhatīti ettha yo bhikkhu rattiṭṭhānadivāṭṭhānaṃ gato tīsu brahmavihāresu tikacatukkajjhānāni nibbattetvā jhānaṃ pādakaṃ katvā saṅkhāre sammasanto vipassanaṃ vaḍḍhetvā arahattaṃ pāpuṇāti.Ayaṃ paraṃ rakkhanto attānaṃ rakkhati nāmāti veditabbo.

Khantiyāti adhivāsanakhantiyā.
adhivāsanakhantiyā:adhivāsana 「忍、忍受」+ khantī(inst.)「忍耐」→「忍住・忍耐によって」

khantiyāとは、「忍住・忍耐によって」です。

Avihiṃsāyāti sapubbabhāgāya karuṇāya.
sapubbabhāgāya:sa「自分の」+ pubba「前の・昔の」+bhāga 「時分」(dat.)→「自らの昔の時分の」
karuṇāya:karuṇā「悲」(inst.)→「悲の心によって」

avihiṃsāyā「害さないことによって」とは「自分の前の悲の心によって」ということです。

Mettacittatāyāti sapubbabhāgāya mettāya.
mettāya:mettāya →

Mettacittatāyā(「慈しみの心によって」)とは、「自分の前の慈しみによって」ということです。

Anudayatāyāti anuvaḍḍhiyā, sapubbabhāgāya muditāyāti attho.

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最終更新時間: 2015-06-29 12:47