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社会を衰退なく、安定・繁栄させる方法 〜なぜ社会が衰退するのか〜 スマナサーラ長老法話メモ(2008年06月08日 — 朝日カルチャーセンター・立川)

[スマナサーラ長老][法話メモ]

目次

(イントロダクション)

無常 vs 安定

  • 一切の現象は無常(Sabbe saṅkhārā aniccā)
  • 現われては消えていく性質(Uppajjitvā nirujjhanti)
  • 一切は原因・条件があってこそ現われる。その原因・条件がなくなると存在しない(因果論)
  • ↑いかなる存在に対しても、これは仏教が語る真理・事実
  • 『それでは、社会の安定・繁栄などについて語れないのでは?矛盾では?』という疑問があるかも知れない
  • しかし、『永遠の地獄・永遠の楽園・永遠の魂』を語る思想家こそ安定・繁栄について語る資格はない
  • 「家は燃えやすいものである」と知っている人が火事にならないように対策を施す
  • 「地震が起こると壊れる」と知っている人が耐震性のある家をつくる
  • 無常を理解していからこそ具体的に安全を語る資格がある(また、その義務もある)

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アングッタラ・ニカーヤ 1-2

[アングッタラ・ニカーヤ]

目次

1-2

パーリ語

‘‘Nāhaṃ, bhikkhave, aññaṃ ekasaddampi samanupassāmi yaṃ evaṃ purisassa cittaṃ pariyādāya tiṭṭhati yathayidaṃ, bhikkhave, itthisaddo. Itthisaddo, bhikkhave, purisassa cittaṃ pariyādāya tiṭṭhatī” ti.

nāhaṃ,: na 「〜でない」+ ahaṃ「私は」
bhikkhave,:呼格「比丘達よ」
aññaṃ:「異なる」(目的格)
ekarūpampi: eka 「一つ」+ rūpam (rupaの目的格)「色・形」+ pi「〜も」
samanupassāmi: samanupassati (saṃ「共に、正しく、集まる、同じ」+ anu「随いて、次に、順じて」+ √pas 「見る(III)」)「見る・認める」の単数・一人称
yaṃ:関係代名詞・目的格「〜であることを」
evaṃ:このように
purisassa: purisa「男」属格「男の」
cittaṃ:目的格「心を」
pariyādāya: pariyādātiのジェランド「占拠して」
tiṭṭhati:立つ、止まる
yathayidaṃ,: yathā「〜のように」+ (y)+ idaṃ「これ」
itthisaddo.:itthī「女」+ sadda 「声」→「女性の声」
Dutiyaṃ.第二に


日本語訳

「私は、女性の声ほど、男性の心を占有して留めておくものが他にあることを認めません。

女性の声は、男性の心を占有して留めておくものなのです」と。

参考

Book of Ones


22x22(2649bytes)上記の日本語訳については著作権は放棄します。御自由にお使い下さい(編集・改変・ソフトウェアに組込むなど)。ただし日本語訳についての質・内容は保証しませんし、この訳をご利用になる上で生じるいかなる不都合に対して、上の日本語訳の作者は責任を負いません。

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ダンマパダ第14偈

[ダンマパダ]

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14

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Yathā agāraṃ suchannaṃ,

vuṭṭhī na samativijjhati;

Evaṃ subhāvitaṃ cittaṃ,

rāgo na samativijjhati.

yathā:Β蒤˒Βǡ
agāraṃ: agāra (n)֒ȒȒגΒВ
suchannaṃ,: su ֒蒤+ channa֒ʤ쒤쒤גΒВ
vuṭṭhī: vuṭṭhi ֒גΒʣ璳
na:(ݒ)֒ǒʒ
samativijjhati;: sam ֒+ ati ֒咡Ķ璤+ vijjhati ֒Ӓג̒Ӓ̒
evaṃ:Β蒤
subhāvitaṃ:su֒蒤+ bhāvita ֒쒤→֒쒤ƒʒ
cittaṃ,: citta֒גΒВ→֒
rāgo: rāga ֒ŒŒߒגΒ璳→֒Œߒ
na:
samativijjhati.:

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Gatha 14


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钽: Mon June 23 2008 18:11 (+0900)


DhammapadaΒђ꒸쒤e-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)ђ꒷Вŵ򒸵˒ƒޒ

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ダンマパダ第13偈

[ダンマパダ]

目次

第13偈

パーリ語

Yathā agāraṃ ducchannaṃ, vuṭṭhī samativijjhati;

Evaṃ abhāvitaṃ cittaṃ, rāgo samativijjhati.

yathā:〜のように、〜の如く
agāraṃ: agāra (n)「家、家屋」の対格
ducchannaṃ,: du 「悪く」+ channa「覆われた・葺かれた」の対格
vuṭṭhī: vuṭṭhi 「雨」の複数・主格
samativijjhati;: sam 「集・共」+ ati 「上・超え・大きい」+ vijjhati 「貫く」通す・貫通する
evaṃ:このように
abhāvitaṃ: a(否定)+ bhāvita 「修習された」→「修習されていない」
cittaṃ,: citta「心」の対格→「心を」
rāgo: rāga 「貪・貪欲」の主格→「貪欲が」
samativijjhati.:


日本語訳

屋根がよく葺かれていない家に、雨が入りこむように

よく育てられていない心に、貪欲が入りこみます


参考

Gatha 13


22x22(2649bytes)上記のダンマパダの日本語訳については著作権は放棄します。御自由にお使い下さい(編集・改変・ソフトウェアに組込むなど)。ただし日本語訳についての質・内容は保証しませんし、この訳をご利用になる上で生じるいかなる不都合に対して、上の日本語訳の作者は責任を負いません。

訳が拙い・不適切なところがある思います。御指摘あれば幸いです。

初出: Sat June 07 2008 20:46 (+0900)


Dhammapadaのパーリ語はe-Tipiṭaka Quotation (World Tipiṭaka Edition 2005)のパーリ経典を元にしています(お教え下さった、あかささんに感謝します!)。

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Seeing Things as They Are (by Nyāṇaponika Thera) 〜ありのままに見ること

[ニャーナポーニカ長老][Access To Insight]

Access to Insight Library にあるNyāṇaponika Thera による"Seeing Things as They Are"を訳してみたものです。

Nyāṇaponika Thera(ニャーナポーニカ長老)について

Nyāṇaponika Theraについては Access to Insightにある紹介文に次のようにあります:。

ニャーナポーニカ長老(ジークムント・フェニガー)は1936年に生まれたドイツからスリランカに移り、ニャーナティローカ長老(1878-1957)の元で比丘として出家されました。1958年にはBuddhist Publication Societyの設立に尽力され、1984年まで編集長を、また1988年に引退されるまで会長を努められました。長老は57回目の雨安居の最後の日に、キャンディ郊外ウダワッタキャレー保安林(the Udawattakele Reserve)内のフォレスト・エルミタージュ(the Forest Hermitage)で穏やかに息を引きとられました。人々に賞賛されている長老の著作としては"The Heart of Buddhist Meditation"、"The Vision of Dhamma"、"Abhidhamma Studies"、(Bhikkhu Bodhiと共著で)"Numerical Discourses of the Buddha"があります[出典: Introduction to "The Vision of the Dhamma"(Kandy: Buddhist Publication Society, 1992)、"For the Welfare of Many" by Bhikkhu Bodhi.]。


Seeing Things as They Are

長い人生の間のほんの一分だけを観察したとしても、生きていることの形の変化はすさまじくて、その描写は出来ないでしょう。それでも、生命としての存在の全てに共通な三つの基本的な特徴に気付くことが出来ます。それは微生物から人間まで、最も単純な感覚から創造的な天才の思考にまでも当てはまります:

無常あるいは変化(anicca);

苦または、満足する(できる)ことがないこと(dukkha);

無我または実体がないこと(anatta).

この三つの本質的な事実は、正しくも世間解(loka-vidū)と呼ばれるブッダによって、2500年以上も前に述べられました。これは、仏教的な言い方では三相(ti-lakkhaṇa)と呼ばれています—生じるもの全てにある不変のしるし、まさに生命そのものの表面に刻まれている"signata"(訳注:模様—ラテン語で斑紋)です。

この三つのうち、一番目と三番目は生命にも生命でないものにも直接当てはまります—すべての形ある存在は、まさに変化を経験し、そして実体を持たないのです。二番目の性質、苦は、もちろん生命だけが経験します。けれども、ブッダは苦の性質を全ての生じる現象に対してあてはめました。それは、生き物にとって、全ての現象は苦を経験する潜在的な原因となり、いずれにしても永続する満足を与えることは不可能である、という意味においてです。このように、この三つは、私達の通常の認識範囲のなかのものも、あるいはそれを超えるものにも等しくついている、真に普遍的な印なのです。

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最終更新時間: 2015-06-29 12:47