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ダンマパダ第7偈

[ダンマパダ]

目次

第7偈

パーリ語

Subhānupassiṃ viharantaṃ indriyesu asaṃvutaṃ

Bhojanambhi amattaññuṃ kusītaṃ hīnavīriyaṃ

Taṃ ve pasahati māro vāto rukkhaṃ'va dubbalaṃ.

subhānupassiṃ: subha 「よい、喜ばしい」+ anupassin 「観察する」 「喜ばしいところだけを見ること」1
viharantaṃ: vihara(-ti) 「viharati」の語幹+ nt → viharant 現在分詞の単数・目的格「住む(生きる)こと」 2
indriyesu: indriyaの 複数・処格 「根、感覚に」
asaṃvutaṃ: 「護っていない(形容詞)」
bhojanambhi: bhojanamhi の処格 「食物の」
amattaññuṃ: 適量を知らない(形容詞)
kusītaṃ: kusīta の目的格 「怠けた、怠惰な」
hīnavīriyaṃ: hīna「欠けた」 + viriya「精進」 の目的格 「不精進」
taṃ: ta(d)(人称代名詞)の複数・目的格「彼らを」
ve:実に
pasahati: pasahati (動詞) 三人称・単数 「征服する」
māro:māraの主格・単数 「死王が」
vāto:vātaの主格・単数 「風が」
rukkhaṃ'va: kukkha の目的格「樹木を」 + (i)va 「〜の如く」
dubbalaṃ.: dubbalaの目的格「弱い」


日本語訳

喜ばしいことだけを見て、感覚を護らずに生き

食物の適量を知らず、怠け、精進をしない人々を

死神が征服します。あたかも風が弱い樹木(をなぎ倒す)ように。

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Thoughts on Dhamma (1/8)

[マハーシ長老][Access To Insight][瞑想]

Access to Insight Library にあるMahasi Sayadaw による"Thoughts on the Dhamma As Taught by the Buddha in the Pali Canon"を訳してみたものです。

マハーシ長老の法話の数々から選んだ短い言葉を集めてあるものです。

実際に訳してみて、分かり難いところもありました。勘違いや間違いがあるかも知れません。お知らせ頂けると幸いです。


目次

Contents


序文

この本を準備しているさなかに、この本の著者である、ビルマの尊師マハーシ・セヤドーは78歳でお亡くなりになりました。こうして、意図せず — 死というものはいつもそうですが — この本はテーラワーダ仏教の、特にヴィパッサナー(Vipassanā)瞑想の分野で、傑出した同時代の指導者のお一人へ敬意を表する追悼という形になりました。お亡くなりになる少し前から、セヤドーはご自分の、特にヴィパッサナー瞑想についての考えと観察を編纂することに同意していることを伝えておられました。


ここに集めたものは、色んな経典(ブッダの教え)について扱ったマハーシ・セヤドーの説法からとられています。説法はビルマ語でなされ、様々な人の手で英語に翻訳されました。それらの英語訳を含む7冊の本は、1980年にBuddha Sasana Nuggaha Organization of Rangoon ("Sasana Yeiktha") から出版されました。それら7冊から選んで抜粋し、この選集で再掲する寛大な許可を頂きました。ここで選んだものは、若干編集してあり、またそれぞれの抜粋には出典を記してあります。セヤドーの簡単な伝記もこれに含めてあります。

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Thoughts on Dhamma (2/8)

[マハーシ長老][Access To Insight][瞑想]

Access to Insight Library にあるMahasi Sayadaw による"Thoughts on the Dhamma As Taught by the Buddha in the Pali Canon"を訳してみたものです。

マハーシ長老の法話の数々から選んだ短い言葉を集めてあるものです。

実際に訳してみて、分かり難いところもありました。勘違いや間違いがあるかも知れません。お知らせ頂けると幸いです。


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マハーシ・セヤドー

マハーシ・セヤドー1としての方が良く知られている、ウ・ソバナ大長老は、ビルマ最後の王朝創設の時の首都であった北ビルマのシュウェボから10キロほどのセイックン村で、小作農を雇っている地主のウ・カン・ホゥターとダウ・シュウェ・オクの間に、1904年7月29日にお生まれになりました。

6歳で、村の寺院の学校での勉強を始め、12歳でsāmanera(沙弥)になりソーバナの名を受けられました。20歳になる1923年11月26日にbhikkhuになられました。続く三年間で国の三つのパーリ語試験(初級、中級、上級)すべてに合格されました。

比丘出家されて4年目で、セヤドーは仏教徒の勉学で名声の高いマンダレーに向かわれ、そこで様々な高僧の方々のもとでさらに勉学を続けられました。(出家されて)5年目に、セヤドーはモウルメインに行かれ、タウン-ワイン-ガライ タイク キャウンとして知られる寺院で仏典を教える仕事に従事されました。

比丘出家して8年目に、セヤドーともう一人の比丘は、比丘の最低限の必需品のみ(鉢と三衣など)を持ってモウルメインを去り、明解で効果的な瞑想の実践法を探して廻りました。タントンで有名な瞑想指導者である、ウ・ナラダ尊者に会われました。尊者はミングン・ジェタウン・セヤドー一世としても知られています。ミングン・セヤドーから指導を受け、同時に瞑想を徹底的に励まれました。

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Thoughts on Dhamma (3/8)

[マハーシ長老][Access To Insight][瞑想]

Access to Insight Library にあるMahasi Sayadaw による"Thoughts on the Dhamma As Taught by the Buddha in the Pali Canon"を訳してみたものです。

マハーシ長老の法話の数々から選んだ短い言葉を集めてあるものです。

実際に訳してみて、分かり難いところもありました。勘違いや間違いがあるかも知れません。お知らせ頂けると幸いです。


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ダンマ (The Dhamma)

真理は一つ (One Truth)

本当に、真理は一つで、不可分でなくてはなりません。このことは心にしっかり覚えておかなければ なりません。近頃は仏法が広く知られていますが、中道、あるいは、八正道に関する教えには、ただ 一つの基礎となるものがなければいけません: 戒・定・智慧の実践と四聖諦です。けれども、ある人 が、実際のダンマの実践に頼ることなく仏教の目的と狙いに達することが出来ると説くならば、私達 は、そういう人は道から外れていると理解するべきです。

— Discourse on To Nibbānavia the Noble Eightfold Path


実践の必要性 (The Need for Practice )

最近、ブッダが実際に教えたことに対しての間違った所説が話題に上りました。それによれば、『智慧は完成した』、そして『いったん智慧が得られたならば、誰もダンマを実践する必要はない』と。こういった所説は、実質的にダンマの実践を拒否すること、そして八正道を否定することになります。実際には、八正道は絶え間なく実践しなければなりません。というのは励むべき(bhāvetabba)修行のセットだからです。そして、それによって仏道の本質に対する洞察力を高めることが出来るのです。努力なしに、自然にやってくるものはありません。それから別の所説として、努力そのものが dukkhaつまり苦であり、それゆえ修行にはげむべきではない、と間違ったことを勧めるものもあります。こういった教義を目の当たりにして、わざわざ八正道に沿って瞑想したり教義を実践したりする者がいるでしょうか。ダンマを実践する者がいなければ、どうやって彼にダンマの光がそそぐと言うのでしょう。そのうえ、仏道の本質への洞察力がないままで、どうやって汚れを取り除き、涅槃の安らぎを得られるというのでしょう。

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Thoughts on Dhamma (4/8)

[マハーシ長老][Access To Insight][瞑想]

Access to Insight Library にあるMahasi Sayadaw による"Thoughts on the Dhamma As Taught by the Buddha in the Pali Canon"を訳してみたものです。

マハーシ長老の法話の数々から選んだ短い言葉を集めてあるものです。

実際に訳してみて、分かり難いところもありました。勘違いや間違いがあるかも知れません。お知らせ頂けると幸いです。


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五蘊の重荷 (The Burden of the Aggregates)

重荷 (The Burden)

重荷とは何でしょうか?khandhas蘊3が重荷なのです。

誰が重荷を受け入れようとするのでしょうか? taṇhā, 渇愛が重荷を受け入れてしまうのです。

その荷物を投げ捨てることが意味することは何でしょうか? taṇhā の消滅が、そ の荷物を投げ捨てることです。

重いのは五蘊 khandhas.の荷物です。

その荷物を受け取ることが苦です; その荷物を受け取らないことが、幸せに導くのです。

渇愛が、まさに土台から根こそぎ引き抜かれたならば、何の願望は起こりません。古い荷物は傍 らに置かれ、新しい荷物を負わされることはありません。

こうして、Nibbāna、永遠の平和の(確固とした)煉瓦作りの家に入ります。

— Discourse on the Bhara Sutta


この荷の重いこと! (How Heavy Is the Burden!)

この荷のなんと重いことでしょう!人が母親の子宮にはらまれた時、世話しなければならない五 蘊がその人に現れるのです。人間として立派に育つように安全に生まれることが出来るようにと、母 親はその子を当然のように全てから守ります。母親は日常の仕事の時、食事の時、眠っている時など ずっと注意しなければなりません。もし母親が仏教徒であれば、生まれてくる子供のために善行為を するでしょう。

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Thoughts on Dhamma (5/8)

[マハーシ長老][Access To Insight][瞑想]

Access to Insight Library にあるMahasi Sayadaw による"Thoughts on the Dhamma As Taught by the Buddha in the Pali Canon"を訳してみたものです。

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戒律 (Ethics)

ダンマの光 (The Light of Dhamma)

戒、定、慧 (sīla,samādhi,pañña)が(仏)道へ導くことが出来るのです。 しかし、教えに納得したなら戒律を守る必要がないと言い張る人がいます。こういったリーダーらによっ て、その支持者のためにシンプルで、あるいは簡単な方法を考案したなどと提唱されることがしば しばあります。何と奇妙なことでしょう! ブッダの時代には、ブッダの説教を聞いた瞬間にダンマ の光をただちに見た、知性と分別のある人々がいた例を否定することは出来ません。もちろん、簡 単な解説で四聖諦の意味をすぐさま理解できてしまうugghaṭitaññuや、あ るいは広く解説されたことを聞いて真理を理解できてしまうvipañcitaññu のような天才的な人々もいました。ブッダの時代には、そういった人々はブッダの教えを聞いてい る間に、それほど努力せずにダンマの光を得ました。けれども、普通neyyaの人々のことと なれば、段々と真理を理解していくよう指導されなければなりません。ブッダ自身でさえも、すぐにはダン マの光を見ることはできませんでした。ですから、次に挙げた経典ダンマパダの276偈は、ブッダに 教えられた通りに、よく覚えておきましょう。詳細な意訳です:

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Thoughts on Dhamma (6/8)

[マハーシ長老][Access To Insight][瞑想]

Access to Insight Library にあるMahasi Sayadaw による"Thoughts on the Dhamma As Taught by the Buddha in the Pali Canon"を訳してみたものです。

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集中力 (Concentration)

集中力の必要性 (The Need for Concentration)

聞いている人に対して、瞑想する対象に集中するのではなくて、心を勝手にさせてリラックスし続けるように教える指導者がいます。彼らが言うには、集中すると心を制限してしまうからだとか。これは、ブッダの教えのように見せかけて、ブッダの指導の違反をしているのです。もしも、そういう指導者の言う通りに心を勝手にさせておけば、好きな思考にふけり、感覚の喜びに夢中になるかも知れません。

— Discourse on the Hemavata Sutta


サマーディ (SamāDhi)

samādhi — 心の集中 — は必要無いと言う人がいます。もし八正道の二つの(智)慧の面、すなわち正見(sammādiṭṭhi)と正思惟(sammāsaṅkappa),を深く考察するならば、生滅することに気付く必要がない、と。これは、samādhiの領域を飛ばしてしまうことです。jhāna-samādhiがまさに得られるならば最も善いのですが、もし上手くいかないならば、瞬間的な集中力(khaṇika samādhi)を身につけるべきです。これは近行定(訳注 upacāra-jhāna)と同等のものです。そうでなければ、それは本当のありのまま見る智慧ではありません。ブッダは言われました:

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Thoughts on Dhamma (7/8)

[マハーシ長老][Access To Insight][瞑想]

Access to Insight Library にあるMahasi Sayadaw による"Thoughts on the Dhamma As Taught by the Buddha in the Pali Canon"を訳してみたものです。

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瞑想 (Meditation)

瞑想者への指示 (Instructions to the Meditator )

気づきを育て、ヴィパッサナーの智慧を得るためには、次のポイントをしっかり憶えなければなりません:

  1. 全ての身体の動きを、それが生じた時に、正しく認識すること
  2. 全ての心の動きを、それが生じた時に、正しく認識すること
  3. 心地良い、不快な、どちらでもない、感覚全てを、それが生じた時に認識すること
  4. 心の対象を、それが生じた時に、分析する心で知ること

— Discourse on To Nibbāna via the Noble Eightfold Path


実践を通じて深まる智慧 (Knowledge Deepens Through Practice)

もし道を実践して自分で直接に経験するならば、時間とともに智慧が深まるのが普通です。

— Discourse on The Wheel of Dhamma


始めたばかりの時の疑念 (Initial Doubt)

瞑想をしたことが無い人は疑念を持つかも知れませんし、それは無理もないことです!見たものしか信じないことと、そういう懐疑は経験がないからなのです。私自身も懐疑的な時もありました。その時は、nāma, rūpa, anicca,anattā などに言及しない Satipaṭṭhānaの方法を私は好きではありませんでした。けれども、その方法を教えていたセヤドーは学識のある僧でしたから、試してみようと私は決めました。 最初はほとんど進歩しませんでした。なぜなら、究極の現実とは関係ない方法ではないか、という疑念がまだもやもやしていたからです。

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Thoughts on Dhamma (8/8)

[マハーシ長老][Access To Insight][瞑想]

Access to Insight Library にあるMahasi Sayadaw による"Thoughts on the Dhamma As Taught by the Buddha in the Pali Canon"を訳してみたものです。

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ヴィパッサナー瞑想 (Insight Meditation)

ありのままに見る智慧 (Insight Knowledge)

ありのままに見る智慧(vipassanā ñāṇa)は、心と身体 (nāma-rūpa)の作用が 無常(anicca)、 苦 (dukkha)、無我 (anattā).であることを観察することで身につきます。それは軽く観察するだけでは得られません。作用が起こっているのを、なおかつ観察されないものが何一つないように、深く観察して得られるのです。このように、見る、聞く、嗅ぐ、食べるなどの全ての動作を、それが起きている時に、そして何一つ観察し損なうことがないように、 観察すべきです。

— Discourse on the Hemavata Sutta


稲妻の閃光 (A Flash of Lightning)

稲妻の閃光を見る、としましょう。稲妻が光る瞬間に見るならば、自分自身で見ることになります。心のなかで、その前後に稲妻が光るのを想像するならば、その稲妻の閃光を実際に見たことにはならないでしょう。 ですから、物事が起きている時に実際自分自身で観察して知るように努めましょう。

— Discourse on To Nibbāna via the Noble Eightfold Path

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最終更新時間: 2015-06-29 12:47